傷痕 時が止まったよう 復興の陰に、生々しく/ルポ・福島第1原発周辺は今(前編) 

ランドセルが置かれたままの双葉北小学校の教室。黒板には、当時の児童が書いたとみられるメッセージが残る=9日、双葉町 
ランドセルが置かれたままの双葉北小学校の教室。黒板には、当時の児童が書いたとみられるメッセージが残る=9日、双葉町 
人の気配を失った街。建物がまばらに並ぶ更地に、道を行き交う工事車両が次々と吸い込まれる。本紙などでつくる地方新聞エネルギー研究会の一員として9、10の両日、東京電力福島第1原発が立地する福島県双葉町などに入った。今も収束作業が続く原発事故か.....
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 人の気配を失った街。建物がまばらに並ぶ更地に、道を行き交う工事車両が次々と吸い込まれる。本紙などでつくる地方新聞エネルギー研究会の一員として9、10の両日、東京電力福島第1原発が立地する福島県双葉町などに入った。今も収束作業が続く原発事故から間もなく10年。着実に芽吹く復興の陰で、時が止まったように生々しい傷痕が残されていた。[br][br] 昨年3月に全線で運転を再開したJR常磐線の双葉駅に着くと、隣接する旧駅舎の時計は地震発生直後を示したまま止まっていた。屋根瓦が崩れた民家、入り口をベニヤ板でふさいだ個人病院―。痛々しい街並みが視界に飛び込んでくる。「イノシシにハクビシン、アライグマ。今は人の動きが見えるけど、まるで野生の王国だよ」。案内役を務めた伊澤史朗町長(62)が複雑な表情を浮かべた。[br][br] 駅を核としたエリアは、来年春ごろの避難指示解除を目指して公営住宅の建設などを進める「特定復興再生拠点区域」に認定される。とはいえ双葉町の面積にして1割ほどにすぎず、大半は高い放射線量のため町民が依然として居住できない「帰還困難区域」だ。[br][br] 駅に程近い旧双葉北小の校舎に向かった。2011年3月11日、直線距離で5キロも離れていない原発で深刻な事故が起きているとは想像だにしなかった住民らが、地震直後から避難指示発令までの半日程度、身を寄せ合った場所だ。[br][br] 教室の黒板には、かわいらしいイラストと共に当時の児童が書いたとみられるメッセージが残っていた。不安に押しつぶされそうな友達を、そして自分を鼓舞するように。[br][br] 「おちついてこうどうする」[br][br] 「たすかる」[br][br]※後編に続くランドセルが置かれたままの双葉北小学校の教室。黒板には、当時の児童が書いたとみられるメッセージが残る=9日、双葉町