核実弾訓練、半年150回 冷戦下、沖縄の米部隊 アジアでの実戦使用想定

 米軍嘉手納基地で戦闘機に装着される核爆弾。写真は水爆「MK28」で撮影日は1962年10月23日となっている(国家安全保障公文書館提供、米国立公文書館所蔵)
 米軍嘉手納基地で戦闘機に装着される核爆弾。写真は水爆「MK28」で撮影日は1962年10月23日となっている(国家安全保障公文書館提供、米国立公文書館所蔵)
冷戦下の1950~60年代、米軍統治下にあった沖縄に配備された米空軍の核兵器管理部隊による活動の詳細が9日までに米軍記録で分かった。核爆弾の実弾を使った搬出入訓練が住民に近接した地域で57年前半だけでも少なくとも約150回確認されるなど、ア.....
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 冷戦下の1950~60年代、米軍統治下にあった沖縄に配備された米空軍の核兵器管理部隊による活動の詳細が9日までに米軍記録で分かった。核爆弾の実弾を使った搬出入訓練が住民に近接した地域で57年前半だけでも少なくとも約150回確認されるなど、アジアでの核の実戦使用を想定した出撃基地として、沖縄が使われていた実態が明らかになった。使われた核爆弾には、日本に投下された原爆を上回る破壊力を持つものも含まれていた。[br][br] 記録からは、核分裂物質を含む「核コンポーネント」と呼ばれる核兵器の中核部分が頻繁に搬出入されていたことも確認された。高温多湿の沖縄では兵器を覆う防護カバーが腐食しやすく、核兵器を“虫干し”して対応していた安全管理の内情も記録されている。[br][br] 文書は、嘉手納基地(沖縄県嘉手納町など)を管理・運営していた米空軍第313航空師団の年次報告で、琉球大の我部政明名誉教授が55~64年分を入手、保管していた。その中に核兵器の組み立て、搬出入を専門とする第12航空貯蔵中隊、核兵器・弾薬を管理する第7戦術貯蔵中隊に関する記載があった。両中隊は同基地に配備されていた。[br][br] 57年の報告によれば、第12航空貯蔵中隊は嘉手納基地に飛来する爆撃機から核爆弾を運び出し、点検後に機内に積み入れるなどの訓練を実施。同年前半だけでも約150回の実弾を用いた訓練が確認された。57年3月には、同基地を核戦争時の出撃拠点として想定した大規模演習「ホワイトホース(白馬)」を実施していた。[br][br] 訓練では、広島に投下された原爆の100倍以上の破壊力を持つ水爆「MK15」(重量約3・4トン)など複数種類の核爆弾が用いられた。[br][br] 有事作戦計画を確実に実行するため多様な核爆弾を素早く運搬することが求められており「平均約1時間でのMK15の搬出入を59回成功させた」などと訓練の“成果”を誇った箇所も多い。第7戦術貯蔵中隊が管理する嘉手納基地、硫黄島の核兵器を使った作戦計画に関する記述もあった。[br][br] 軍事活動が事実上無制限に容認されていた沖縄の基地は、米軍にとって利用価値が高かった一方、弾薬庫に貯蔵した兵器の管理は「深刻な問題」だったようだ。湿気による劣化が早いとして、核兵器を定期的に弾薬庫から出し外気にさらしていたとしている。[br][br] 一連の文書は、近く琉球大島嶼(とうしょ)地域科学研究所のホームページで公開される予定。(共同=豊田祐基子) 米軍嘉手納基地で戦闘機に装着される核爆弾。写真は水爆「MK28」で撮影日は1962年10月23日となっている(国家安全保障公文書館提供、米国立公文書館所蔵)