【夏の甲子園中止】太田幸司さんがメッセージ「頑張った日々 大きな勲章」

太田幸司氏
太田幸司氏
戦後初の甲子園中止を受け、1969年夏の甲子園で準優勝した三沢高のエース・太田幸司さん(68)が20日、デーリー東北新聞社の電話取材に応じ、高校球児にメッセージを寄せた。   ◆    ◇ 甲子園という大きな目標を失うことになってしまった。.....
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 戦後初の甲子園中止を受け、1969年夏の甲子園で準優勝した三沢高のエース・太田幸司さん(68)が20日、デーリー東北新聞社の電話取材に応じ、高校球児にメッセージを寄せた。[br]   ◆    ◇[br] 甲子園という大きな目標を失うことになってしまった。練習を頑張ってきたみなさんに、なんと声を掛けていいか分からない。非常に残念な決定だが、どこに文句を言うこともできない。インターハイも中止になっており、部活動に励んできた高校生にとっては苦しく、残念だろう。[br] それでも、この悔しさを味わったみなさんの世代は絶対に強くなるし、この経験を何とかプラスにしてほしい。この状況を冷静に受け止め、苦しみを乗り越えてほしい。この経験は将来に役立つはずだし、役立ててほしい。[br] 甲子園は目標だが、全てではない。甲子園がなくなったからといって、これまでの努力が否定されることはない。チームで、仲間と、一緒に頑張ってきた過程を一番大事にしてほしい。「何にもならなかった」と思うことだけはやめてほしい。[br] 私は甲子園で準優勝でき、記録に残ったが、甲子園での勝利は一瞬の出来事だったようにも思う。それよりも、一生懸命練習に励み、時にはサボったりしながらも仲間と頑張ってきた日々の方が、後に大きな勲章になる。頑張ってきた事実の方が、ずっと大事だ。[br] 今後、みんなそれぞれに新しい道を選ぶことになる。その道につながっていくような高校生活を、最後まで全うしてほしい。[br]   ◆    ◇[br] おおた・こうじ 1968年夏、翌69年のセンバツ、夏と3季連続で甲子園に出場。69年夏の決勝では、松山商(愛媛)と戦い、延長18回、再試合の末に敗れた。70年にプロ入り、84年引退。現在は野球解説の傍ら、日本女子プロ野球リーグのスーパーバイザーを務める。三沢市出身。兵庫県宝塚市在住。太田幸司氏