天鐘(5月8日)

映画『男はつらいよ』シリーズでは、寅さんが旅先の公衆電話から実家に電話をかける場面がよくあった。遠くからなのだろう。電話機の上に何枚も10円玉を乗せていた▼寅さんも使った赤電話が街にお目見えしたのは1953年。戦後の復興期から需要が高まり、.....
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 映画『男はつらいよ』シリーズでは、寅さんが旅先の公衆電話から実家に電話をかける場面がよくあった。遠くからなのだろう。電話機の上に何枚も10円玉を乗せていた▼寅さんも使った赤電話が街にお目見えしたのは1953年。戦後の復興期から需要が高まり、一時は設置工事が追いつかないほどだった。後に青や黄、ピンク、緑も登場。生の声を伝える貴重な通信手段として重宝された▼ピークの93年には駅や公共施設に100万台近くがあふれた。当時、街角の電話は日本の活力の象徴にも見えた。だが「携帯」の普及で次第に姿を消していく。現在は全盛時の2割に満たぬ数である▼総務省は公衆電話の設置基準を緩和する方針だ。将来はさらに今の4分の1の、2万7千台ほどまで減るらしい。赤字続きの事業を思えば、やむを得まい。それでも、あの元気な時代が一層遠ざかっていく寂しさがある▼停電でも通じるのが大きな強み。その威力はあの大震災で証明済みだ。誘拐された少女が駅の公衆電話に駆け込み、救われたこともあった。ひっそりと街にたたずみながら、実は頼りになる存在である▼昔は基本10円3分で時間切れ。今はずっと短くなった。時に家族や恋人たちの決心や告白を無情に遮って、映画やドラマの味な小道具になった。そういえばシリーズとしての寅さん終了も、携帯の登場とすれ違いの頃だったように思う。