女性解放の先駆者、永島暢子に思いはせ 八戸の寺院で「菊の花忌」

永島暢子をしのび、墓前で手を合わせる参会者
永島暢子をしのび、墓前で手を合わせる参会者
女性解放運動の先駆者である永島暢子(よね)の功績をたたえる「菊の花忌」が12日、八戸市糠塚の大慈寺で行われた。参会者は大正、昭和期に活躍した永島に思いをはせ、墓前で手を合わせた。 永島は1897年に八戸市で生まれ、青森県立八戸実科高(現八戸.....
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 女性解放運動の先駆者である永島暢子(よね)の功績をたたえる「菊の花忌」が12日、八戸市糠塚の大慈寺で行われた。参会者は大正、昭和期に活躍した永島に思いをはせ、墓前で手を合わせた。[br][br] 永島は1897年に八戸市で生まれ、青森県立八戸実科高(現八戸東高)卒業後に上京。平塚らいてうらと交流を深め、女性の自由と権利向上、参政権獲得を目指し奔走した。雑誌「女人芸術」でも啓蒙けいもう活動に尽力し、1946年に48歳で亡くなった。[br][br] 「菊の花忌」は同市の永島暢子を偲しのぶ会(内田弘志会長)が主催。毎年4月12日に開催しており、今年で8回目。永島が菊の花が好きだったことから命名された。[br][br] 大慈寺の吉田隆法住職が読経し、参会者23人が焼香した後、内田会長は「ジェンダー平等ランキングで日本は120位と後進国。永島の遺志を引き継ぎ、男女平等な社会実現を目指していきたい」と話した。[br][br] 同会は「菊の花忌」が再来年で10周年を迎えることを受け、活動意義を再確認するための企画を準備する予定だ。永島暢子をしのび、墓前で手を合わせる参会者