【東海第2原発運転差し止め】「判決が常識追い付いた」 原告だった亡き母に思い

 母恵子さんの遺影を手にするノンフィクション作家の大泉実成さん。後方の写真は父昭一さん=2月、茨城県日立市
 母恵子さんの遺影を手にするノンフィクション作家の大泉実成さん。後方の写真は父昭一さん=2月、茨城県日立市
「地震国で原発が安全と言えるのか」。ノンフィクション作家大泉実成さん(59)=茨城県日立市=の亡き母は同県で起きた臨界事故で被ばく。日本原子力発電東海第2原発の運転差し止めを求めた今回の訴訟でも原告に名を連ねていた。実成さんも原発には反対で.....
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 「地震国で原発が安全と言えるのか」。ノンフィクション作家大泉実成さん(59)=茨城県日立市=の亡き母は同県で起きた臨界事故で被ばく。日本原子力発電東海第2原発の運転差し止めを求めた今回の訴訟でも原告に名を連ねていた。実成さんも原発には反対で、18日の勝訴判決に「裁判所の判断が常識に追い付いた」と思いを重ねた。[br][br] 臨界事故は1999年、同県東海村の核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」で発生。約120メートル先の工場で働いていた両親が被ばくし、母の恵子さんは下痢や倦怠(けんたい)感に悩むようになった。旅行好きの明るい人がJCO施設を「悪魔の塔」と恐れ、家に引きこもり心的外傷後ストレス障害(PTSD)の診断を受けた。「外見はいつも通りだったのに。目に見えないのが放射線被害の怖さ」と実成さん。両親はJCOなどに賠償を求め提訴したが、判決で体調と事故との因果関係は否定された。[br][br] 2011年に東京電力福島第1原発事故が発生。父の昭一さんが亡くなった翌月だった。「地震国の日本で原発が危なくないわけがない」という思いを深めた恵子さんは差し止め訴訟に参加。[br][br] そんな母に実成さんは付き添い、東海村でのデモに参加。18年に恵子さんが判決を聞くことなく世を去った後も、原発関連の講演活動などをやめなかった。今回の裁判は「事故があったら逃げられないという住民の不安の現れだ」と避難計画が鍵を握るとみていた。[br][br] 判決はネットニュースで知った。差し止めのハードルは高いと知っており「びっくり。素晴らしい。やっとこういう時代が来たか。母も喜ぶ」と話した。「原発は動かすほど危険性が高まる。再稼働はもってのほか」。今後もデモなど反原発の歩みを続ける決意だ。 母恵子さんの遺影を手にするノンフィクション作家の大泉実成さん。後方の写真は父昭一さん=2月、茨城県日立市