【刻む記憶~東日本大震災10年】「東北」背負う覚悟 八戸と福島拠点の東北フリーブレイズ

震災から2年、チーム初のアジアリーグ単独優勝を成し遂げた東北フリーブレイズ=2013年3月30日、八戸市のテクノルアイスパーク新井田(現テクノルアイスパーク八戸) 
震災から2年、チーム初のアジアリーグ単独優勝を成し遂げた東北フリーブレイズ=2013年3月30日、八戸市のテクノルアイスパーク新井田(現テクノルアイスパーク八戸) 
「スポーツ選手にできることは、どんな時もしっかりと準備し、試合で100%の力を発揮すること」。アイスホッケーのプロチーム・東北フリーブレイズの田中豪選手(37)は、こう断言する。東日本大震災の経験が転機だった。福島県郡山市のリンクで被災し、.....
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 「スポーツ選手にできることは、どんな時もしっかりと準備し、試合で100%の力を発揮すること」。アイスホッケーのプロチーム・東北フリーブレイズの田中豪選手(37)は、こう断言する。東日本大震災の経験が転機だった。福島県郡山市のリンクで被災し、「東北」を名乗るチームとして「自分たちにできること」を探した。気負い、焦り、重圧…。苦しみの答えは震災から2年後、満員のホームリンクにあった。掲げた優勝カップとファンの笑顔が教えてくれた。[br][br] 2011年3月11日は、チーム初のアジアリーグ優勝を懸けた大一番の前日だった。ホームリンクの一つの磐梯熱海アイスアリーナで午後3時から始まる練習の準備をしていた時、大きな揺れに襲われた。全員が防具を着たまま外へ飛び出した。窓ガラスを割って逃げようとする外国人選手もいた。移動のバスの車内では、テレビが東北地方の太平洋沿岸に津波襲来を警告していた。空気が重苦しかった。[br][br] チームは数日間市内に滞在し、試合中止を受けて練習拠点の八戸市へ戻った。そこで見たのは変わり果てたホームの姿だった。津波が押し寄せた岸壁に漁船が打ち上げられるなど被害は深刻で、アイスホッケーどころではなかった。[br][br] いつも支えてくれる八戸と福島のために恩返しをしなければいけない―。チームはすぐに行動を起こした。被災地域の片付けを手伝い、チャリティーイベントを企画した。[br][br] 喜んでもらえた。だが、疑問もあった。「果たして被災地の助けになっているのか」(田中選手)。チャリティーや復興という言葉を使うのをためらわせた。 日常生活が戻り始めた夏、チームは練習を再開した。異例のオフシーズンで不安を抱えながらの再スタートだったが、選手の士気は高かった。「東北のために優勝したい」[br][br] だが、11~12年シーズンの結果は振るわなかった。思いが空回りした。「『いつも通り』ができなかった。東北への思いを持ちながら、試合に向けてできることを淡々とやることが大事だ」。この気付きが田中選手を変えた。[br][br] “約束”を果たしたのはその1年後だった。13年3月30日、八戸市のホームリンクにできた歓喜の輪の中心では、決勝ゴールを決めた田中選手が涙を拭った。当時は主将で「知らないうちに、いろいろなものを抱えていた。ほっとした」。氷上の自分たちに向かって「ありがとう」と手を振るファンの姿は、今季で現役を退くベテランにとって忘れられない光景だ。[br][br] スポーツ選手にできることは何か―。悩みながら走り抜いた2年は田中選手を一層強くした。「見る人を楽しませたり、感動させたりできるスポーツの力は計り知れない。震災を経て、周りの支えに日々感謝しながら、色んな方の思いを胸にプレーしている」。青のユニホームには「東北」の誇りが宿る。震災から2年、チーム初のアジアリーグ単独優勝を成し遂げた東北フリーブレイズ=2013年3月30日、八戸市のテクノルアイスパーク新井田(現テクノルアイスパーク八戸)