ミャンマーで軍事クーデターが起き、同国の事実上のトップ、アウン・サン・スー・チー国家顧問兼外相やウィン・ミン大統領らが国軍に拘束された。国軍はミン・アウン・フライン国軍総司令官に全権が移譲されたとしており、2011年の民政移管から約10年で軍政に逆戻りした。[br] ミャンマーが新型コロナウイルスの感染拡大に直面する中で起きたクーデターは、同国の民主化を踏みにじる時代錯誤的な蛮行だ。国軍は直ちに非常事態宣言を撤回、民主主義を回復し、スー・チー氏ら拘束者を解放すべきだ。[br] かつて国軍により計14年以上拘束・軟禁されたスー・チー氏は「独裁国家への逆行」と批判し、国民に抵抗を呼び掛ける声明を出した。[br] 国軍がクーデターを実行した背景には、昨年11月の総選挙でスー・チー氏が率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したことが挙げられる。同氏は、総選挙での勝利をてこに、新議会で国軍の政治的影響力を保証する憲法を改正しようとし、国軍が危機感を抱いたとみられる。[br] 国軍は、総選挙で不正があったと主張し、クーデターを起こす可能性も排除しない姿勢を示すなど緊張が高まっていた。トランプ前米大統領と似たような主張には根拠がなく、クーデターの口実にすぎない。[br] クーデターが起きた1日には総選挙後初めての議会が招集され、その後、第2次NLD政権が発足する予定だった。国軍は、テレビを通じ、自由で公正な選挙を行い、勝利した政党に権限を移す考えを明らかにした。[br] だが、こうした方針を真に受けることはできない。1990年に軍政下で実施された総選挙で、スー・チー氏が率いるNLDが大勝したが、国軍は選挙結果を認めず、その後、約20年間にわたり軍政を敷いた。[br] クーデターを強行した国軍総司令官はイスラム教徒少数民族ロヒンギャの迫害を主導したと国際社会から批判され、国際刑事裁判所(ICC)の訴追対象にすべきだとの声も上がる。[br] ミャンマーは長期間にわたった軍政下で最貧国に転落した。民政移管を契機に400社を超える日本企業など各国の企業が多数進出し経済が発展したが、クーデターはミャンマーの経済に打撃を与えかねないだろう。[br] 欧米諸国が強く非難し、ミャンマーへの最大の援助国日本も重大な懸念を表明した。国際社会は一致して同国の軍政に対し、援助停止も含め厳しく対処していくべきだ。