天鐘(8月19日)

立秋から12日経ったが、秋の気配はまだまだのようだ。太陽から燃え立つコロナに新型ウイルスのコロナ。猛暑もウイルスも依然として収束の気配は見られず“特別な夏”が続いている▼〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる〉。平安時.....
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 立秋から12日経ったが、秋の気配はまだまだのようだ。太陽から燃え立つコロナに新型ウイルスのコロナ。猛暑もウイルスも依然として収束の気配は見られず“特別な夏”が続いている▼〈秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる〉。平安時代の『古今和歌集』巻頭に収められた秀歌。「秋の訪れを目でははっきりと見えないが、風の音でハッと気付いた」という意味だ▼立秋に詠んだ藤原敏行の歌で、季節の移ろいを五感で受け止める平安歌人の感性に驚かされる。国語学者の金田一春彦も「日本人は季節の盛りよりも変わり目に着目する」(『ことばの歳時記』)と指摘している▼俳句然り短歌然り。去りゆく夏への愛惜と来る秋への期待。四季の中でも秋の訪れに対する執着は殊更強く、俳句の季語「今朝の秋」の句は多い。小さくとも素早く秋を探し出そうとする感受性の競い合いも▼〈土近く朝顔咲くや今朝の秋 虚子〉。昨日までと違い、露を含んでひっそりと咲く朝顔に秋を感じ取った。だが、今年はコロナで花見や大型連休も自粛、盆の帰省も自制し、季節に触れる機会がめっきり減った▼映像を介して桜を愛(め)で豪雨に震えた。脊椎カリエスで病床の正岡子規は〈初秋の簾(すだれ)に動く日あしかな〉と簾の日差しで季節の移ろいを感じ取った。風に揺れ野に咲く草花をどれほど見たかったことか。8月19日(はいく)は俳句の日。