六ケ所村の使用済み核燃料再処理工場が新規制基準に適合すると、原子力規制委員会に正式に認められた。6年余り続いた審査を経て、ようやくたどり着いた正式合格だ。一方で、土台となる核燃料サイクル政策はこの間も揺れ続けた。工場の安全性の議論が進んだのとは対照的に、存在意義が問われる状況は変わっていない。[br] 世界で最も厳しい水準とされる新規制基準は、東京電力福島第1原発事故を踏まえて策定された。その基準を満たし、規制当局のお墨付きを得た複数原発が再稼働している。国内外に衝撃を与えた未曾有の原子力災害から9年余り、再処理工場を含む原子力施設の安全性の議論自体は進んだと言える。[br] だが、政策論は進展しなかった。むしろ混迷の度合いが強まった感さえある。[br] 震災時の民主党政権は「2030年代原発ゼロ」と「サイクル政策維持」という矛盾に満ちた戦略を打ち出した。これは自民党の政権復帰によって無実化したが、再処理工場を抱える青森県は振り回された。[br] 16年には高速増殖原型炉「もんじゅ」の廃炉が決まり、再処理によって取り出したプルトニウムは本命だった使い道を失った。プルトニウムとウランを混合したMOX燃料を原発で使用するプルサーマルも計画通りに進んでいない。電気事業連合会は「16~18基」を目標とするが、震災後に再稼働したプルサーマル導入原発は数基にとどまり目標達成は見通せない。これらが再処理事業に疑問符が付く要因となっている。[br] 極めて有毒な高レベル放射性廃棄物(ガラス固化体)や、原発の廃炉による制御棒などの放射能レベルの高い廃棄物は、処分地さえ決まっていない。[br] 処分地選定に向け、経済産業省は17年に科学的特性マップを公表した。だが、核のゴミを巡る国民的議論も、国民的理解も一向に深まる気配はない。海外から返還されたガラス固化体が六ケ所村に搬入されてから25年が経過し、震災後には廃炉が相次いでいる。対応は待ったなしのはずだ。[br] 規制当局によって一定の安全性が確認され、再処理工場は完工に一歩近づいた。だが、このままの状況で本格的に動くと、使途が限られたプルトニウムと行き場のない新たな固化体を次々と生み出すことになる。[br] 存在意義が揺らぐ状況での稼働は当然、許されない。国は置き去りにされた政策議論を進め、処分地選定を含む問題解決の道筋を早期に示すべきだ。