天鐘(5月1日)

先日、ある人がこんなことを言っていた。「最近、今日が何月何日なのか分からなくなってきた」。学校は休校、スポーツも祭りも中止。季節感を感じなくなってしまった、と。同感である▼今日は5月1日。気がつけば「令和」になってちょうど1年である。新しい.....
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 先日、ある人がこんなことを言っていた。「最近、今日が何月何日なのか分からなくなってきた」。学校は休校、スポーツも祭りも中止。季節感を感じなくなってしまった、と。同感である▼今日は5月1日。気がつけば「令和」になってちょうど1年である。新しい時代にみんなで希望を託したのが、遠い昔のことのようだ。こんな世の中になるとは誰が予想しただろう▼コロナと格闘する日々が続く。それはすなわち「元の日常」を取り戻すための戦いだ。ところが今、人と経済の動きが止まった社会を見渡して想像するのは、恐らく従来とは違った姿の混乱後の世の中である▼きざしはある。たとえば定着しつつあるテレワーク。感染者が多い東京に改めて叫ばれる一極集中。響かない首相の言葉に対して、注目されるのは積極的な地方自治体の対応だ。生活や行政の場での“主役交代”を思わせる▼戦いが長期化すればするほど、今の状況こそが「日常」になる。これまで当たり前だった価値観も崩れていくに違いない。それは人々のライフスタイル、そして社会の姿をも変容させる。学校9月入学の議論も本格化の気配だ▼世の中が混乱しているときこそ社会は変わる―東京の小池百合子知事がそんな意味のことを言っていた。戦争の昭和、災害の平成。そしてコロナ後の令和には何が待つのか。今からしっかりと構えていなくてはなるまい。