【ビンラディン容疑者殺害10年】疑惑残るパキスタン関与 隠れ家跡地は子供の遊び場に

 ビンラディン容疑者の隠れ家跡地に遊びに来た子供たち=3月、パキスタン・アボタバード(共同)
 ビンラディン容疑者の隠れ家跡地に遊びに来た子供たち=3月、パキスタン・アボタバード(共同)
米中枢同時テロを首謀した国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者が2011年5月、パキスタンの隠れ家で米軍に殺害されてから10年が経過した。鉄条網付きの高い壁で守られていた隠れ家は解体されて空き地となり、子供たちの遊び場に。.....
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 米中枢同時テロを首謀した国際テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディン容疑者が2011年5月、パキスタンの隠れ家で米軍に殺害されてから10年が経過した。鉄条網付きの高い壁で守られていた隠れ家は解体されて空き地となり、子供たちの遊び場に。なぜ首都近郊で長期潜伏できたのか、パキスタン軍がかくまっていたのか―など、多くの疑惑が今もくすぶっている。[br][br] 首都イスラマバードから約60キロ、北部アボタバードにあった隠れ家前の通りは地元で「ウサマ通り」と呼ばれる。近くに住むアルタフ・フセインさん(70)は「米国は遺体の写真すら公開していない。全て作り話だ」と今も殺害に懐疑的だ。[br][br] 隠れ家は3階建てで、約100万ドル(約1億1千万円)かけて05年に容疑者をかくまう目的で建設されたとされる。近くにはパキスタン陸軍士官学校があり、多くの軍関係者が暮らしている。軍が容疑者を支援していたとの疑惑が当時から噴出。18年にはトランプ米大統領(当時)が「パキスタンの誰もが彼がそこにいたと知っていた」と非難した。[br][br] 米側の発表によると、ビンラディン容疑者は11年5月2日、隠れ家で米軍に急襲され、側近と共に殺害された。遺体は水葬。情報漏れを防ぐためパキスタン側に作戦を通知していなかった。[br][br] 「友人に背中を刺された気持ちだった」。当時アボタバードを含む北西部カイバル・パクトゥンクワ州を管轄する軍団長で、後に国防次官を務めたアシフ・ヤシン・マリク氏が振り返る。[br][br] マリク氏によるとパキスタン軍は10年、北西部ペシャワル近郊で「アブアハメド・クウェイティ」の偽名で呼ばれる連絡役の男を一時拘束。男が所持していたアラビア語のメッセージを押収し、情報機関の3軍統合情報部(ISI)が米中央情報局(CIA)に提供したことが「隠れ家を米国が突き止めるきっかけだった」とマリク氏は主張する。[br][br] だが米国人著名記者セイモア・ハーシュ氏は15年、ビンラディン容疑者が06年からパキスタン情報機関の軟禁下にあり、米軍の殺害作戦にもパキスタンが緊密に協力していたとの記事を発表し波紋を広げた。[br][br] マリク氏は「軍がかくまっていたのであれば米軍を返り討ちにした」と反論。「当時、軍は別の武装勢力掃討作戦に集中し、ビンラディン容疑者は追っていなかった」とする。真相はやぶの中だ。(アボタバード共同) ビンラディン容疑者の隠れ家跡地に遊びに来た子供たち=3月、パキスタン・アボタバード(共同)