【震災10年】「思い出の品」返却施設閉鎖へ 管理人漂う寂しさ

 津波被災地で見つかったランドセルを手にする川口登さん。「思い出の品展示場」には、ぬいぐるみなどがずらりと並ぶ=12日、福島県浪江町
 津波被災地で見つかったランドセルを手にする川口登さん。「思い出の品展示場」には、ぬいぐるみなどがずらりと並ぶ=12日、福島県浪江町
東日本大震災の津波被災地であり、東京電力福島第1原発事故で大半の区域が立ち入り禁止となっている福島県浪江町の「思い出の品展示場」には、がれき処理中に見つかった写真や家財がずらりと並ぶ。震災発生から10年が過ぎた21日の閉鎖が決まり、管理人の.....
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 東日本大震災の津波被災地であり、東京電力福島第1原発事故で大半の区域が立ち入り禁止となっている福島県浪江町の「思い出の品展示場」には、がれき処理中に見つかった写真や家財がずらりと並ぶ。震災発生から10年が過ぎた21日の閉鎖が決まり、管理人の川口登さん(71)は「一つの区切りも必要かな」と寂しさをにじませる。[br][br] ひび割れたランドセルや木彫りの七福神、色あせた家族旅行の写真―。原発事故後、全町民が避難を強いられていた2014年夏から町役場近くで展示。がれき処理をする環境省が安藤ハザマに運営を委託した。[br][br] 開館直後には月300人以上が墓参りや役場の手続きなどの際に訪れたが、次第に減少。計1万7千点のうち返却されたのは2400点超にとどまる。震災10年の翌日に幼い頃の写真を探しに来る人もいたが、川口さんは「(思い出の品への)熱い思いは薄れてしまったのかな」と話す。[br][br] 津波で両親を失った川口さん自身、思い出の写真に支えられた。発生時は農作業中だった。近くの山へ避難したが、両親は倒れた家具を片付け逃げ遅れ、自宅は流失した。2人を捜そうとしたが、町外避難を余儀なくされ、警察の捜索に委ねるしかなかった。[br][br] 結局、遺骨と対面できたのは、震災から2カ月以上たってからだ。「早く避難させていたら」と悔やんだ。その頃、旅行中の両親の写真など約30枚が戻り、2人の存在を身近に感じた。写真は「宝物」になった。[br][br] 約35キロ離れた相馬市に自宅を再建し、展示場には週2~3回通った。位牌(いはい)の文字から持ち主を推測し連絡を取るなど、積極的に返却に関わってきた。[br][br] 「公金を使う以上成果が必要だ」。閉館はやむを得ないと思う気持ちと寂しさが交錯する。震災遺構になる町立請戸(うけど)小に一部を展示できるよう町と交渉を続ける。記憶の一片である品々と寄り添うつもりだ。 津波被災地で見つかったランドセルを手にする川口登さん。「思い出の品展示場」には、ぬいぐるみなどがずらりと並ぶ=12日、福島県浪江町