【刻む記憶~東日本大震災10年】「死ぬまで支援続けたい」 野田に通い続ける大学教授

野田村の職員(左)と意見を交わす渥美公秀さん=2月27日、同村
野田村の職員(左)と意見を交わす渥美公秀さん=2月27日、同村
大阪大大学院教授の渥美公秀(ともひで)さん(59)=共生行動論=は東日本大震災以降、野田村に通い続けている。自宅のある大阪府交野市から7時間かけて村を訪れた回数は10年間で300回近くに上り、滞在日数は優に1年を越える。「10年で終わりじゃ.....
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 大阪大大学院教授の渥美公秀(ともひで)さん(59)=共生行動論=は東日本大震災以降、野田村に通い続けている。自宅のある大阪府交野市から7時間かけて村を訪れた回数は10年間で300回近くに上り、滞在日数は優に1年を越える。「10年で終わりじゃない。受け入れてくれるのであれば、死ぬまでお付き合いを続けたい」。支援の枠を越え、地域と共に歩む姿勢を貫く。[br][br] 渥美さんは、自らが阪神大震災で被災したのをきっかけに、国内外の被災地でボランティア活動に当たった経験を持つ。震災発生時は研究のため米国に滞在中だったが、すぐに帰国し、3月23日に野田村に入った。[br][br] 比較的情報の少なかった岩手県北地方の沿岸を視察。野田は被害の大きさに対し、支援が行き届いていないと感じた。通常、災害ボランティアは短期の活動となるが、「復興に10年はかかる。細く長く、じっくりと地域と向き合おう」と心に決め、野田に腰を据えた活動を始めた。[br][br] 当初はがれきの片付けや炊き出しといった直接的な支援が中心。当時、少ない職員でボランティアを手配していた行政側の負担を減らすため、意図的に行政との関わりは抑え、独自の活動を展開した。[br][br] 各地でボランティアの輪を広げた経験を踏まえ、支援体制の構築にも力を注いだ。つてがある関西ばかりでなく、八戸高専や八戸工大など青森県内の機関にも呼び掛け、学生や教職員、ボランティア団体、市民有志によるネットワーク組織「チーム北リアス」の設立に尽力。活動は現在も続き、全国的にも珍しい、息の長いサポートを続ける。[br][br] 復興事業が本格化してからは、大学の知見を生かした地域づくりの在り方も模索した。13年には大阪大のサテライトを村内に開設。18年まで毎月11日に復興支援に関するセミナーを計60回開催した。[br][br] 「学生にとってはもちろんだが、遠くから来た若者と向き合って地域の将来を考えることは、住民にとってもメリットがあるはず」。夏休みには学生と共に村内に滞在してフィールドワークで住民と交流を深めた。[br][br] 大阪大と村は18年、相互交流を目的とした協定を締結。支援する側とされる側という一方的な関係ではなく、対等な立場で互いに学び合う関係性を目指す新たな段階に入った。[br][br] 震災から10年となる11日も村を訪れ、関係者と意見を交わした渥美さん。「住民が自発的な活動をするときに、そのお手伝いをするような存在になれたら。肩肘張らず、何かあれば気軽に話せる関係を続けていきたい」。村の将来に強い思いをにじませた。野田村の職員(左)と意見を交わす渥美公秀さん=2月27日、同村