【震災10年】「奇跡の少年」語り部に 9日後救出の経験踏まえ

 語り部活動に取り組む阿部任さん=2月、宮城県石巻市
 語り部活動に取り組む阿部任さん=2月、宮城県石巻市
東日本大震災の発生9日後に救出され「奇跡の生還」と呼ばれた当時高校1年の阿部任さん(26)=宮城県石巻市。「よく耐えた」との称賛に「避難を怠っただけ」と戸惑い、後悔が募った。一時は距離を置いた古里で「僕の話が少しでも記憶に残ることで、避難行.....
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 東日本大震災の発生9日後に救出され「奇跡の生還」と呼ばれた当時高校1年の阿部任さん(26)=宮城県石巻市。「よく耐えた」との称賛に「避難を怠っただけ」と戸惑い、後悔が募った。一時は距離を置いた古里で「僕の話が少しでも記憶に残ることで、避難行動に生かされてほしい」と語り部活動に取り組む。[br][br] 2011年3月11日は、親が不在だった自宅で、祖母寿美さん(90)と一緒だった。「おばあちゃんを連れての避難は大変」と2階の居間にとどまる。「大した津波は来ないだろう」との過信もあった。だが、津波は家を約100メートル押し流し、1階をつぶした。居間は原形をとどめたが、がれきが積み重なり、閉じ込められた。[br][br] 冷蔵庫のビスケットやヨーグルトで飢えはしのげた。こたえたのは、つららができるほどの寒さ。ぬれずに済んだ布団は寿美さんに掛けた。5、6日目から凍傷で両足の指がむくみ感覚を失う。[br][br] 寿美さんと共に屋根の隙間から脱出したのは、3月20日の朝。負傷者の生存率が急速に下がるとされる「72時間の壁」を大きく超えた生還に、暗く沈んでいた日本全体が勇気づけられた。[br][br] 「多くの人に迷惑を掛けて、バッシングされる」と覚悟していたのに、入院先で目にしたのは「ヒーロー扱い」のニュース。居心地が悪かった。 退院後は、石巻から足が遠のく。東北芸術工科大(山形市)の彫刻コースに進んだが、どんな作品を作っても「テーマは震災?」と聞かれるのが苦痛だった。[br][br] 転機は16年。就職活動で立ち寄った古里の大きな変化に、寂しさがこみ上げた。道路はきれいに舗装され、自宅跡さえ分からない―。そんな時、石巻の企業「街づくりまんぼう」の求人が目に入る。小学校の校外学習で訪れたことがあった。「もう一度石巻を知って、力になりたい」。翌年春、就職した。[br][br] 地元の語り部団体に加わると、児童ら84人が犠牲となった市立大川小で弟を失った、同い年の永沼悠斗さん(26)に出会った。「僕よりずっと真剣に震災と向き合っていた。語りのクオリティーが違った」。自分は何を伝えられるか、本気で考え始めた。[br][br] 自分を指名してくれる参加者が多いが「人の数だけ震災の形がある」と訴える。他の被災者の話も聞いてほしいからだ。「話題を集めた僕をきっかけに、次へパスをつなげたい」。ようやくたどり着いた一つの答えだ。 語り部活動に取り組む阿部任さん=2月、宮城県石巻市