東北地方に未曽有の被害をもたらした東日本大震災から10年の節目を迎える。あらためて、あの日の教訓を胸に刻みたい。[br] 震災は北奥羽地方にも深い爪痕を残した。30人を超える犠牲者を出した野田村などで尊い命が失われた。産業も大きな打撃を受けた。北東北有数の産業都市の八戸市では臨海部の工場が被災。漁業への影響も深刻だった。農家は原発事故に伴う風評被害にも苦しんだ。 [br] ハード面の復興事業はおおむね完了。各地の港湾施設では、堤防のかさ上げや防潮堤の延長など津波対策が施され、防災機能を強化した。沿岸部の住宅地では高台移転などが進んだ。[br] 復興の象徴として広域的な取り組みも見られた。八戸市から福島県相馬市までの三陸沿岸を通る「みちのく潮風トレイル」は、2013年11月に八戸市―久慈市間が先行開通し、19年6月に全線が利用可能となった。三陸沿岸道は八戸市―仙台市間の総延長359キロに及ぶ全線が、21年内につながる。[br] 原子力事業は新局面へ。20年は7月に使用済み核燃料再処理工場(六ケ所村)、11月に使用済み核燃料中間貯蔵施設(むつ市)、12月にMOX(プルトニウム・ウラン混合酸化物)燃料加工工場(六ケ所村)が、相次いで新規制基準に合格した。[br] 10年を経て復興事業はハードからソフトへと比重を移している。単に施設を元通りに戻すことがゴールではない。生活基盤の立て直し、交通インフラ整備に伴う人や物の流れの変化を、いかに地域の発展につなげていくのか知恵を絞りたい。今なお苦しむ被災者に寄り添い続け、安心して暮らせる地域の営みも再生しなければならない。[br] 原発事故は人々の古里を奪い、事後処理も先が見えない。核燃料サイクルが行き詰まりを見せる中、エネルギー政策における原子力の位置付けについて、いま一度問い直す必要がある。[br] 人口減少や少子高齢化など、震災前から抱える課題にも向き合いたい。復興の歩みに地域の現状を重ねて前に進むことが、あの日に踏み出した一歩をさらに力強いものにするだろう。[br] 震災の記憶は後世に伝えるべき大切な教訓だ。日本海溝・千島海溝沿いを震源とする地震のシミュレーションでは、一部で東日本大震災を超える津波が想定される。地震以外の自然災害も激甚化の傾向にあり、日頃の備えの重要性が高まっている。震災の経験をまちづくりや防災教育、企業活動などに生かし、毎年訪れる3・11を地域の将来を考える機会にしてほしい。