天鐘(8月15日)

うれしかった。死ななくていい。生きて行ける―この軽い言葉が一番ふさわしかった。ポツダム宣言の受諾を報じる玉音放送が流れた75年前の今日、14歳の野坂昭如(あきゆき)(直木賞作家)少年が抱いた嘘偽りのない心情だった▼大佛(おさらぎ)次郎、永井.....
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 うれしかった。死ななくていい。生きて行ける―この軽い言葉が一番ふさわしかった。ポツダム宣言の受諾を報じる玉音放送が流れた75年前の今日、14歳の野坂昭如(あきゆき)(直木賞作家)少年が抱いた嘘偽りのない心情だった▼大佛(おさらぎ)次郎、永井荷風、高見順ら作家達もそれぞれに『敗戦日記』を残した。一日を作家の目線で懸命に書き留めてはいるが、野坂少年の“軽い言葉”に遠く及ばない▼15日の日付に目を通してそう思った。高見は「ついに敗けた。軍は政府を、政府は国民を騙(だま)した。無知から来る頼もしい精神力。私の胸は痛恨と日本人への愛情でいっぱいだ」。荷風は欄外に「戦争停止」とだけ▼大佛も「台湾も満州も朝鮮も奪われ、本土支配を許す。軍人が作戦の失敗に責任を感ぜず」と憤慨。推理作家の海野十三(うんのじゅうざ)は「無念。今夜(家族)一同死ぬつもりなりしが、忙しくてすっかり疲れ…」と記した▼「音をたてて涙が」(徳川夢声)「敗れて正気に」(山田風太郎)等々。神戸大空襲で一家離散、生き残った妹も飢えで失った野坂少年。贖罪(しょくざい)から読み漁(あさ)った大人達の日記には「敗戦」への切実な文字はなかった▼焼跡闇市派を自称し、『火垂(ほたる)の墓』等で直木賞を受賞。戦争を“天災”と諦め、漂流する世相に怒りを込めた(『「終戦日記」を読む』)。うやむやのうちに国民を思考停止に追い込む手口は、今も昔も変わっていないようだ。