天鐘(4月14日)

縄文の昔、イヌは狩りの手助けをする「猟犬」だった。獰猛(どうもう)なイノシシなどを追い詰め、狩人が弓矢や石槍(やり)で仕留める剛勇な狩猟の大切な“相棒”として飼われていたようだ▼「縄文犬」は柴犬程の小型犬だが闘争本能に長(た)け、数匹で果敢.....
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 縄文の昔、イヌは狩りの手助けをする「猟犬」だった。獰猛(どうもう)なイノシシなどを追い詰め、狩人が弓矢や石槍(やり)で仕留める剛勇な狩猟の大切な“相棒”として飼われていたようだ▼「縄文犬」は柴犬程の小型犬だが闘争本能に長(た)け、数匹で果敢に猟獣に立ち向かった。イノシシを追い詰めて逆襲に遭い、命を落とすイヌも。早期から後期にかけ、全国約400の遺跡から骨が出土している▼四肢の骨折痕や歯の損傷などから激闘の跡が窺(うかが)える。狩人は深手を負った猟犬を連れ帰って手厚く介抱、傷が癒えると家犬として養った。死後は家族と同じ墓域に合葬するなど、縄文人の情の深さを物語っている▼一方、弥生時代は大陸から伝わった稲作が狩猟生活に取って代わった。猟犬はお払い箱になり、朝鮮半島からもたらされた食習慣の対象に。出土する骨はバラバラで、解体痕や人間が齧(かじ)り付いた歯形まで残る▼世界遺産登録に向け整備していた七戸町の「二ツ森貝塚館」が開館した。目玉の「剥(は)ぎ取り貝塚の断面」と共に、縄文中期後半(4500~4000年前)と推定される「埋葬された子犬」が改めて話題を呼んでいる▼貯蔵穴に丁重に葬られ、愛犬の死を悼む家族の心情に触れる思いがする。全てではないが食用にされた弥生犬より、猟犬の使命を終えてなお愛された縄文犬は幸せだった。愛犬のあれこれを縄文人と語り合いたくなってくる…。