天鐘(4月8日)

先日亡くなった橋田寿賀子さんは、ホームドラマを書くと、よくこんな手紙をもらったそうだ。「あなたのドラマは、どう見てもわが家がモデル。どこで調べたのか」▼自分の作品を、視聴者がどれだけ「わがこと」として見ているのかを痛感した。時代劇や刑事モノ.....
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 先日亡くなった橋田寿賀子さんは、ホームドラマを書くと、よくこんな手紙をもらったそうだ。「あなたのドラマは、どう見てもわが家がモデル。どこで調べたのか」▼自分の作品を、視聴者がどれだけ「わがこと」として見ているのかを痛感した。時代劇や刑事モノとは違い、身近な人間関係を扱う。だからうっかりしたことは書けないと、神経を使ったという。(自著『渡る世間に鬼千匹』)▼ホームドラマの脚本書きを、自ら「重箱の隅をほじくる仕事」と言う。だが、それこそドラマが詰まっているのが“家”でもある。夫婦や兄弟、嫁姑(しゅうとめ)…。その時代、時代の家族の姿を見つめ続けた▼描いたのは、一見、何でもないような日常である。ちょっとしたいさかいや、もめ事を取り上げる。どこの家でもありそうな光景に、見る側も身につまされる。多くの人たちの心をつかんで、「渡鬼」は国民的ドラマになった▼台所で茶碗を洗っていても、洗濯物を畳んでいても、聞いていて筋が分かるように仕立てた長ぜりふ。脚本の題材は新聞の投書欄がヒントだったというのも、この人らしい逸話だろう▼いつもハッピーエンドの物語は、「甘い」と批判もされた。それでも「視聴者が自分ごととして見ている以上、無責任には終われない」と、それにこだわった。「どんな人間にも希望があるから」。人を愛し、そして励まし続けてくれた人だった。