【聖火リレー】モスクワの悔しさ胸に 「幻の代表」炎つなぐ

モスクワ五輪の体操女子代表に選ばれていた津田桂さん=11日、相模原市
モスクワ五輪の体操女子代表に選ばれていた津田桂さん=11日、相模原市
果たせなかった夢を違う形で―。25日にスタートする東京五輪の聖火リレーでは、日本がボイコットした1980年モスクワ五輪の「幻の代表」たちもトーチを掲げる。「やってよかったと思えるように」。41年前の悔しさを胸に秘めつつ、前向きな気持ちでリレ.....
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果たせなかった夢を違う形で―。25日にスタートする東京五輪の聖火リレーでは、日本がボイコットした1980年モスクワ五輪の「幻の代表」たちもトーチを掲げる。「やってよかったと思えるように」。41年前の悔しさを胸に秘めつつ、前向きな気持ちでリレーに向き合う。[br][br] 70~80年代の柔道軽量級の名選手として知られる柏崎克彦さん(69)=千葉県市川市=は代表選考試合の前日に日本のボイコット決定を知った。「まずは勝つこと。悔しい、悲しいは、その後」との思いで試合に挑み、代表の座を勝ち取ったが、その時の気持ちは「今でも表現できない」。[br][br] 当時、茨城の県立高校教諭。試合後、ビールをあおりながら「五輪とは何なのか。生徒たちにどう言えばいいのか」と頭を整理したが、納得できる答えは出なかった。[br][br] 後年、モスクワ五輪で金メダルに輝いたライバルから「日本選手が参加しなかった五輪の金メダルなど価値はない」と話すのを聞いた。時がたつうち、誰もが力を出し切る大会にすることが大切だと考えるようになった。[br][br] 現在、中国・山東省で、同国の代表候補らを指導中。リレーの際には帰国する予定。「孫や教え子が喜んでくれたらうれしい。終わった後のビールも楽しみ」。リラックスして臨むつもりだ。[br][br] 高校1年で体操女子代表に選ばれた相模原市の小学校教諭津田(旧姓内田うちだ)桂さん(56)はボイコット当時を「ショックはそんなになかった」と振り返る。ただ「五輪は、その程度の大会と思い、魅力を感じなくなった」といい、84年のロサンゼルス五輪を目指すことなく、現役を引退した。[br][br] 2013年に東京開催が決まった時もうれしさはなかったが、気持ちが変わったのは翌14年。モスクワ五輪代表だった友人と話すうち、ボイコットを繰り返さないためにも当時のことを知ってほしいと思うようになった。「五輪は平和の象徴。一生懸命取り組んだことが人生の支えになることを伝えたい」と話す。[br][br] 「別の形で五輪に関わりたい」と自らランナー応募したのは、陸上400メートル障害の代表だった長尾隆史さん(63)=岡山県倉敷市。新型コロナウイルス禍による1年延期を、準備期間が増えたと前向きに捉え、ジョギングや筋力トレーニングに励む。消毒液を持ち歩き、外食や人混みも極力避けるなど感染予防にも細心の注意を払う。[br][br] コロナを理由に参加しない国が出てきたら、自分のように悔しい思いをする選手が出てきてしまうことが気掛かり。「やってよかったと多くの人が思える大会になってほしい」と願っている。モスクワ五輪の体操女子代表に選ばれていた津田桂さん=11日、相模原市