【震災10年】大切な人に会える場所だから 幸崎さん家族(八戸)今年も大船渡へ

震災により、大船渡市で消息を絶った幸崎和彦さんの家族。今も去来する悲しみを胸にしながら、互いに支え合い、懸命に生きている。(左から)鈴さん、廉さん、ひとみさん、陸さん=11日、大船渡市
震災により、大船渡市で消息を絶った幸崎和彦さんの家族。今も去来する悲しみを胸にしながら、互いに支え合い、懸命に生きている。(左から)鈴さん、廉さん、ひとみさん、陸さん=11日、大船渡市
東日本大震災の発生から10年を迎えた11日、八戸市根城の幸崎ひとみさん(53)は子ども3人とともに大船渡市にいた。“あの日”、トラック運転手だった夫和彦さん=当時(45)=が消息を絶ち、乗っていたトラックががれきの中で横転していた街。防潮堤.....
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 東日本大震災の発生から10年を迎えた11日、八戸市根城の幸崎ひとみさん(53)は子ども3人とともに大船渡市にいた。“あの日”、トラック運転手だった夫和彦さん=当時(45)=が消息を絶ち、乗っていたトラックががれきの中で横転していた街。防潮堤や道路が新たに整備され、当時の面影は薄れつつあるが、訪れる度に、胸に去来する悲しみは、長い時を経ても何も変わらない。それでも、家族4人全員で今年もここに足を運んだ。[br][br] 「大切な人に会える場所だから」―。これからもずっと家族で支え合って生きていく。[br][br] 2歳上の和彦さんとは友人の紹介で知り合った。恥ずかしがり屋だが、誰にでも優しく接する姿に引かれ、交際3カ月で結婚。やがて男の子2人、女の子1人の子ども3人を授かった。[br][br] 和彦さんは仕事後に帰宅すると、ずっと子どもの面倒を見てくれる子煩悩ぶりを発揮。出掛ける時も、お風呂に入る時も常に子どもと一緒だった。スキー場に行った際、誰よりもはしゃぐ様子は「男の子が1人増えたみたいだった」。家族のありふれた穏やかな時間―。それはずっと続くものだと思っていた。[br][br] 震災当日、仕事で大船渡市へ向かうため、和彦さんは早朝に家を出た。ひとみさんはお弁当を渡しそびれたため、和彦さんの携帯電話を鳴らした。[br][br] 「お前がお昼に食べなよ」。それが最後の会話だった。[br][br] 大黒柱だった和彦さんのいない生活。小学生3人を女手一つで育てなければならず、がむしゃらに働いた。何も考えないようにするため、あえて仕事を詰め込んだりもした。だが、夜になると深い悲しみに襲われた。「なんで隣にいてくれないの」。飲めないお酒に逃げる日もあった。[br][br] ただ、家族は一つの絆でつながり続けた。「俺が家にいない時は、お前がお父さんの代わりだよ」。当時10歳だった長男・廉さん(20)は父との約束を果たすため、長女・鈴さん(19)、次男・陸さん(17)の面倒を積極的に買って出た。それぞれの卒業式にサプライズで出席して2人を驚かせるなど、父親譲りの優しさが垣間見えるのがうれしかった。[br][br] 3人とも、同級生に気を遣われることが嫌になったり、「お父さんいなくてかわいそう」と、何気ない言葉に傷付けられたりすることもあったが懸命に生き、ひとみさんを支えた。「だめな私のために、あの人が3人を残していってくれたんだろうな」。子どものありがたみをかみ締めてきた。[br][br] あの日以来、毎年3月11日は大船渡で迎えている。和彦さんが好きだった缶コーヒーをトラックが見つかった場所に置き、午後2時46分、鳴り響くサイレンとともに和彦さんと1年ぶりに“会話”をした。[br][br] 「とっくにあなたの年齢を超えちゃったよ」「ずっと一緒にいたかったな」「旅行もしたかったね」。次々とあふれ出す思いとともに、ひとみさんの目には自然と涙がこみ上げていた。[br][br] 震災がなければ、毎年訪れることもなかったであろう大船渡。最愛の人と離れる名残惜しさはあるが、帰宅すれば、子どもたちが支えてくれる、これまでの日常が待っている。「また来るね。それまでみんなを見守っていてちょうだい」。また新しい一年が始まる。震災により、大船渡市で消息を絶った幸崎和彦さんの家族。今も去来する悲しみを胸にしながら、互いに支え合い、懸命に生きている。(左から)鈴さん、廉さん、ひとみさん、陸さん=11日、大船渡市