天鐘(3月11日)

天災とはいえ、過酷な仕打ちを恨みたくなる―。2011年3月12日付の小欄は、そう始まる。観測史上最大規模。万単位の死者・不明者。振り返れば、やり場のない当時の思いが蘇(よみがえ)る▼あの日を境に日常が一変した。モノが消えたコンビニ、ガソリン.....
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 天災とはいえ、過酷な仕打ちを恨みたくなる―。2011年3月12日付の小欄は、そう始まる。観測史上最大規模。万単位の死者・不明者。振り返れば、やり場のない当時の思いが蘇(よみがえ)る▼あの日を境に日常が一変した。モノが消えたコンビニ、ガソリンスタンドの長い列。CMのなくなったテレビが伝える安否情報に、この先の日本はどうなっていくのかと、誰もが不安を募らせた▼確かなものが何もなく、心細い日々。そんな中で、心の支えになったのが「絆」という言葉だった。ローソクの小さな火のような優しい暖かさ。日本中が震えながら肩を寄せ合い、「絆」をそっと抱きしめていたように思う▼先日、野田村を訪ねた。青空の下、国道沿いにパークゴルフの歓声が響く。一方では、14メートルの新防潮堤が美しい十府ケ浦の海を遮る。ここはまだ「復興」と「災中」が混在する場なのだと思い知る▼震災から10年がたった。新聞、テレビが被災地の今を報じている。あれから前進できたもの、できなかったもの。心に残った遺族の言葉がある。「前には進みたくない。大切な思い出が遠ざかるから」。悲しみに節目はない▼未曽有の大災害に違いない。だが被災者一人一人に、ひとまとめでは語れぬそれぞれの人生がある。絆、共感、思いやり…。そんな言葉たちを、引き出しの中にしまったままにしていないか。埃(ほこり)を払い、磨き直す日である。