卓球で東京五輪に日本男子のエースとして挑む仙台市出身の張本智和はりもとともかず選手(17)=木下グループ=は、東日本大震災の発生時は同市立東宮城野小の1年生だった。あの日から10年。オンラインでのインタビューに応じ、故郷への強い思いを語った。[br][br] ―被災当時の状況は。[br][br] 「家で学校の宿題をやっていて机の下に隠れた。地震が続いて家族でトイレに駆け込み、止まってから近くの公園に逃げた。夜は車の中でろうそくで過ごした記憶が」 ―当時の思いは。 「急な出来事で本当に怖さと驚き、その二つの気持ちしかなかった」[br][br] ―2012年ロンドン五輪女子団体で卓球界初の五輪メダルを獲得した同じクラブ出身の福原愛さんが、五輪直後の9月に東宮城野小にメダルを持って訪れた。[br][br] 「はっきり覚えている。初めて五輪のメダルを生で見せてもらって食らいつくように見た。あの頃はうれしいことがなく、ただただつらい日常だった。メダルを見せてもらえるだけでホッとした。初めて自分もこのメダルが取りたいと思うようになった。次は自分が勇気を与える立場」[br][br] ―風化への危機感も。[br][br] 「今は関東が拠点だが自分はいつまでも宮城県民、仙台市民の気持ちでいる。日常の中で常に新しい問題が起きて、それに気を取られてしまう。10年が経過したが、僕は今でも忘れずに胸に秘めて闘っている。新型コロナウイルスが収束したら東北や宮城に足を運んでもらい、復興途上の被災地を見てもらいたい」[br][br] ―仙台について。[br][br] 「仙台駅からの景色を見ると、その瞬間は卓球のことを忘れられる。ここだけは、自分をゼロに戻せる場所」[br][br] ―日本代表のユニホームには今も「WASURENAI 3・11」の文字が記されている。[br][br] 「日本代表の中で、仙台出身や東北出身の選手は少ない。被災した当時、東北にいた選手もなかなかいない。震災を忘れないという気持ちを持ち続けてプレーする」[br][br] ―東京五輪は新型コロナを克服し、震災からの復興をアピールする大会になる。[br][br] 「コロナに打ち勝つための五輪でもあるが、宮城県出身選手として復興五輪を強く発信していきたい。コロナ禍の五輪と復興五輪。この二つを忘れずコートに立ちたい」