【連載・八戸西初の甲子園へ】(1)悲願

先月29日に行われた第93回選抜高校野球大会の出場校選考委員会で21世紀枠に選出され、悲願の「甲子園出場」が決まった八戸西ナイン=29日、八戸西高
先月29日に行われた第93回選抜高校野球大会の出場校選考委員会で21世紀枠に選出され、悲願の「甲子園出場」が決まった八戸西ナイン=29日、八戸西高
近年の青森県内高校野球界で「公立の雄」の呼び声が高い八戸西硬式野球部は、1975年の学校創立とともに産声を上げた。1期生は16人。当初はバットやバックネットなどの用具、設備が皆無で、日頃の練習は近隣の学校と合同で行っていた。1期生主将で現在.....
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 近年の青森県内高校野球界で「公立の雄」の呼び声が高い八戸西硬式野球部は、1975年の学校創立とともに産声を上げた。1期生は16人。当初はバットやバックネットなどの用具、設備が皆無で、日頃の練習は近隣の学校と合同で行っていた。1期生主将で現在は同部OB会の今川一会長(61)=八戸市=は話す。「八戸高、百石高さんから“高校野球”というものを教えてもらった。本当にありがたかった」[br][br] 同校は創立当初から部活動に力を入れてきた。硬式野球部も夏の青森大会は1、2年目こそ初戦敗退だったが、3年目には2勝をマーク。3期生でOB会の三浦俊司副会長(59)=八戸市=は「『最初に結果を残すのは野球部だ』との意欲に燃え、他の部活に負けないよう必死に練習した」と振り返る。[br][br] 八戸西の名をとどろかせたのは、2、3期生がそれぞれ最上級生だった78、79年。3期生の本格派左腕・助川清隆が投打でチームを牽引し、夏の青森大会は2年連続決勝進出。共に健闘及ばず涙をのんだが、この2年間が八戸西の歩みの中で、最も“聖地”に近づいた時代だ。助川の1大会通算奪三振65(79年)、1試合奪三振19(同)の記録は今も破られることなく、県内球史に刻まれている。[br][br] それ以降は春の活躍が目立つ。82年には県大会決勝で三本木との県南勢対決を制して初優勝。好投手の佐藤誠はこの大会計52回を1人で投げきった。09年は県大会3位決定戦で五所工に快勝し、エース向祐貴はノーヒットノーランを達成。初出場の東北大会で4強入りを果たした。16年は主戦竹本祐瑛を擁し、弘前東、工大一、弘学聖愛など、強豪私立を次々と撃破して34年ぶりの県大会V。東北大会は、2回戦で仙台育英に敗れたとはいえ、甲子園常連校と接戦を演じた。[br][br] 長年、後輩の戦いぶりを見てきた三浦副会長は、母校がこれまで聖地に届かなかった要因として、「いい投手がいる世代は好成績を残してきたが、春の活躍で夏は投手がライバルに研究されてしまっていた」と分析。強いとされた世代も夏の青森大会は82年が2回戦、09年は3回戦、16年は準決勝敗退だった。[br][br] 秋も、県大会はこれまで3位以内に残れず、翌春の選抜大会に直結する東北大会に出場したのは昨年が初めてだった。それでも、その“ワンチャンス”で一定の成績を残し、野球以外の活動も評価されて、今春の選抜大会出場校として21世紀枠で選出された。[br][br] 26期生でもある現在の小川貴史監督(37)が率いて約4年。今川会長は「現監督になって、生徒の野球に取り組む姿勢が変わったと感じる。実力も十分だ」と今後に期待を寄せている。[br][br] ◇   ◇   ◇[br] 八戸西が歴代の先輩たちが流してきた汗と涙を糧に、創部46年目にして“甲子園切符”を手にした。チームの歴史やこれまでの取り組みなどをひもときながら、現チームの躍進の要因、本番への課題などを探った。先月29日に行われた第93回選抜高校野球大会の出場校選考委員会で21世紀枠に選出され、悲願の「甲子園出場」が決まった八戸西ナイン=29日、八戸西高