天鐘(12月11日)

本年度にわな猟の免許を取った本紙記者がハンターとしてデビューし、先月から紙面に体験記を書いている。手前味噌めくが、狩猟の現場を伝えた初回は命と食を考えさせられ、興味深かった▼わなに掛かった鹿にとどめを刺す場面は生々しい。「ごめんね」と声を掛.....
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 本年度にわな猟の免許を取った本紙記者がハンターとしてデビューし、先月から紙面に体験記を書いている。手前味噌めくが、狩猟の現場を伝えた初回は命と食を考えさせられ、興味深かった▼わなに掛かった鹿にとどめを刺す場面は生々しい。「ごめんね」と声を掛け、ナイフで心臓を突く。鋭い悲鳴と共に絶える命。静かに手を合わせる記者の写真に、こちらも粛然となった▼昔、食肉処理場の慰霊祭を取材したことがある。何千、何万という牛や豚が処理される。年に一度、職員一同がそうした家畜たちに心を寄せる。処理場では「殺す」ではなく、動物たちに感謝を込めて、命を「解く」と言うのだそうだ▼実際の処理場職員を描いた『いのちをいただく』(講談社)という絵本がある。涙を流す牛、それに手を掛けねばならぬ担当者。描写される命の現場と、そこに立つ人の葛藤が胸を突く▼売り場のパック詰めに慣れたわれわれには、なかなかその現場に思いが及ばない。生々しさが消えた一皿は、既に「食材」だ。その気軽さゆえか、食べ残しや好き嫌いに寛容になった。かくしてこの国に膨大な食品ロスが生まれていく▼一つの実を大きくするため、リンゴ農家はその周りの果実を摘む。1個摘むたびに「ごめんなさい」と心でわびる農家がいた。さまざまに解かれた命で、私たちの命がつながっている。ありがとう。いただきます。