時評(11月15日)

十和田湖は平安時代末期に開山された北東北最大の山岳霊場だという。そこに至る「十和田古道」を復活させようとする動きが活発化している。地元の市民団体や日本中世史の専門家らの調査によって当時の実態が徐々に明らかになりつつあり、歴史遺産としての価値.....
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 十和田湖は平安時代末期に開山された北東北最大の山岳霊場だという。そこに至る「十和田古道」を復活させようとする動きが活発化している。地元の市民団体や日本中世史の専門家らの調査によって当時の実態が徐々に明らかになりつつあり、歴史遺産としての価値が高まっている。市民の関心が集まり、保護に向けた機運が醸成されることを期待したい。[br] 国立公園はかつて霊場だったケースが多く、歴史文化の面でも注目されているという。十和田湖・奥入瀬渓流は長く自然景観に目が向けられてきた。市民団体らは、本来持つ神聖さを再認識することで、新たな観光資源として活用したい考えだ。[br] 江戸時代、霊山十和田に至る参詣道は少なくとも5本あり、五戸七崎(現八戸市豊崎町)を起点とする「五戸道」が本道だった。八戸からの参詣はこの道を通り、現十和田市大不動や米田周辺の集落で一泊、翌日には十和田湖に到達したという。[br] 五戸道は江戸中期、盛岡藩が「十和田山新道」として大々的に整備したことからも、重要な祈りの道だったことがうかがえる。昨夏、この古道の一部が良好な状態のまま残っていることが分かり、調査が始まった。[br] 今年8月までの調査では、随所で御神灯や、城館や御堂の跡とみられる人工平場などの発見が相次いだ。[br] 中心域に入る「結界」だった遥拝所の場所も分かってきた。この一つが同市の惣辺放牧場近くの峠で、当時は大鳥居が立っていたと伝わる。[br] 峠からは十和田湖外輪山や八甲田の山々が一望でき、眼下には奥入瀬渓流の森林が広がる。長い山道を歩いて峠にたどり付いたかつての参詣者は、この絶景に息をのみ、聖域に入る実感を新たにしただろう。[br] ただ、この景観を巡って問題が起きている。周辺で最大43基の巨大風力発電計画が明らかになり、実施想定区域には眺望をふさぐ場所も含まれる。市民団体らは歴史的景観を守るため、事業者に区域の変更を要望。県環境影響評価審査会の意見でも、十和田古道の重要地点だとして配慮を求めている。[br] 最近では、山形県の霊場・出羽三山の周辺で巨大風力発電計画が持ち上がり、知事や市長、地元住民の反対を受けて事業者が白紙撤回した例がある。[br] 大規模施設の整備に当たって、常に大きな課題となるのが良好な景観形成である。“信仰の聖地”の復活を目指す地元の熱意も念頭に、最善の方向性が選択されることを願う。