天鐘(10月17日)

宮沢賢治の『樺太鉄道』は1923(大正12)年、日本領だったロシア極東のサハリン(樺太)を旅した際に綴(つづ)った詩だ。樺太鉄道の車窓に映る広漠としたツンドラと壮大な天空を描いた▼教え子の就職依頼とされたが、実は前年“永訣(えいけつ)”した.....
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 宮沢賢治の『樺太鉄道』は1923(大正12)年、日本領だったロシア極東のサハリン(樺太)を旅した際に綴(つづ)った詩だ。樺太鉄道の車窓に映る広漠としたツンドラと壮大な天空を描いた▼教え子の就職依頼とされたが、実は前年“永訣(えいけつ)”した妹トシの魂を訪ねる旅だった。現実を受け入れるには心の整理が必要…(『青森挽歌』)と本音が記されている▼豊原(ユジノサハリンスク)郊外で植物採集をした際に詠んだ『鈴谷平原』。彼の前に現れた一匹の蜂が放物線を描いて「寂しい未知」へと飛び去ったが、その先には「牧草の穂が楽しく揺れていた」という詩だ▼地球という空間から消えても宇宙全体の時限から見れば、トシはきっとどこかに存在しているに違いない―。塞(ふさ)ぎ込んでいた賢治の心も楽しく揺れ出す。悲嘆の呪縛から解放してくれたのが樺太への旅だった▼この旅から代表作の童話『銀河鉄道の夜』を着想したという。孤独な少年ジョバンニと親友カムパネルラが銀河鉄道で宇宙を旅する物語。思い入れも強かったのだろう。推敲(すいこう)を繰り返すが未定稿のまま33年に没した▼樺太鉄道が先月末、歴史の幕を閉じた。日露戦争の勝利で譲与された樺太統治時代の遺産で狭軌道。第2次大戦後は旧ソ連が使い続けた。大陸との鉄道橋も構想中で、今月中にロシア規格の広軌で統一される。銀河のどこかで賢治も残念がっているに違いない。