天鐘(10月13日)

「つまづいたっていいじゃないか…」は書の詩人、相田みつをの詩『にんげんだもの』。人生、七転び八起きが当たり前なのに、官僚の世界は完全無欠の「無謬(むびゅう)性」が前提らしい▼行政の共通概念で、官僚や公務員は間違いを起こさないようになっている.....
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 「つまづいたっていいじゃないか…」は書の詩人、相田みつをの詩『にんげんだもの』。人生、七転び八起きが当たり前なのに、官僚の世界は完全無欠の「無謬(むびゅう)性」が前提らしい▼行政の共通概念で、官僚や公務員は間違いを起こさないようになっているという。ミスへの強迫観念からか、特に「官僚は絶対に間違えない」という完璧な無謬性が生まれた。勿論、神話に過ぎないのだが―▼一旦誤りを認めると現在までが全否定され、政策自体が崩壊する。そこで無謬性の担保と保身用に編み出されたのが「ご飯論法」だ。「朝ご飯を食べたか?」の問いに、「ご飯(白米)は食べていない」と答える▼パンを食べたので嘘(うそ)はない。論点をすり替えるしたたかな戦術で、官僚出身の加藤勝信官房長官の得意技だ。安倍晋三前首相が桜問題で「募ったが、募集はしていない」とまね、「同じ意味だ」と揶揄(やゆ)された▼今度は学術会議問題。長官は「(6人を)除外したのではない。99人を任命させていただいた」とすり替えた。ご飯論法の名付け親、法政大の上西充子教授は「炒飯(チャーハン)論法」と命名。再三の誤魔化(ごまか)しに警告を発した▼また、菅義偉首相は105人の推薦名簿を「詳しく見ずに任命した」と言い出した。事前に6人を削る文書改竄(かいざん)の疑いが指摘されると首相の凡ミスで身をかわす。再び頭を擡(もた)げた文書を巡る“負の遺産”。無謬神話の底が割れる。