天鐘(9月28日)

ここ数年、テレビを見ていてどうにも気になることがある。若いスポーツ選手がインタビューを受けたときなどによく言う「勇気を与える」という言葉である▼「見ている人たちに勇気を与える試合をしたい」。気持ちは分かるが、それって、いわゆる上から目線では.....
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 ここ数年、テレビを見ていてどうにも気になることがある。若いスポーツ選手がインタビューを受けたときなどによく言う「勇気を与える」という言葉である▼「見ている人たちに勇気を与える試合をしたい」。気持ちは分かるが、それって、いわゆる上から目線では? それに、勇気や感動とは自分の中から湧くものじゃないの? せめて「勇気づけたい」などと言ってくれれば…▼もっとも、最近は「勇気をもらった」などと言う。「もらう」ならば、「与える」でもいいのだろうか。いちいち目くじらを立てるなと叱られるかもしれないが、この違和感に同意してくれる方も多い▼言葉の違和感といえば、文化庁による国語の世論調査が興味深い。たとえば敬語。「規則でそうなってございます」が気になる人は8割以上。逆に「反省させていただきます」には、約半分は違和感を覚えないらしい▼「国語の乱れ」を感じる人の割合が過去最低になったそうだ。敬語と若者言葉がいつも悪者だが、「乱れていない」が初めて3割を超えた。飛び交う様々な表現はスマホやSNSと無縁ではあるまい。人が歩けば道ができる▼さて、調査では「隠蔽(いんぺい)」「憂鬱(ゆううつ)」にふりがなは不要との意見も増えた。最近の報道でよく目にするからとの理由らしい。新聞を開けば分かる気がする。ここは一つ気分を変えて、スポーツでも見て元気を「もらう」とする。