天鐘(8月18日)

源俊頼は平安後期の歌人。白河院の命を受けて『金葉集』を編んだ。題詠の定着によって趣を同じくする和歌が量産された時代に、「清新奇抜」を打ち出す。軽々しいと批判も浴びたが、歌壇に新風を吹き込んだ▼〈たなばたは ひまなく袖に つく墨を けふや逢瀬.....
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 源俊頼は平安後期の歌人。白河院の命を受けて『金葉集』を編んだ。題詠の定着によって趣を同じくする和歌が量産された時代に、「清新奇抜」を打ち出す。軽々しいと批判も浴びたが、歌壇に新風を吹き込んだ▼〈たなばたは ひまなく袖に つく墨を けふや逢瀬に すゝぎすつらん〉。言い伝えで「袖の墨」は愛慕の証しとされた。和歌の革新者は、ひこ星と織り姫の伝説になぞらえ、男女の深い情を詠んだ▼20歳で現代書の大家・佐々木泰南氏(八戸市出身)と結婚。1時間半をかけて墨を磨(す)ることが一日の始まりだった。師でもある夫に寄り添って60年、その意志をつないで20年。書家の佐々木月花さんが逝去した▼書歴は同郷の偉人と結ばれた後の人生と重なる。手本を示してもらったことはない。容赦のない叱責(しっせき)も受けた。しかし誰よりも近くで、長く、息遣いに触れた。おのずと心技は伝播(でんぱ)し、背中を追うように書壇に功績を刻んだ▼「泰南書道会」に始まり後の「臨泉会」「八戸臨泉会」と、陰日なたに若手を指導。系譜を継ぐ弟子が一線で存在感を発揮する。先日の小紙は月花さんの訃報とともに後進の活躍を伝えた。「書は人なり」の精神が根付く▼「袖振り合うも多生の縁」という。ことわざを解すれば、月花さんが泰南氏と出会い、書の道を究めたのは宿運だった。向こうでも連れ添い、共に精進を重ねるのだろう。合掌。