神事としての重み受け止め 閉幕の八戸三社大祭総括

発祥300年目を迎えた八戸三社大祭。神社や山車の合同運行が中止となったが、今後の祭りの在り方を考えるきっかけとなった(写真はコラージュ)
発祥300年目を迎えた八戸三社大祭。神社や山車の合同運行が中止となったが、今後の祭りの在り方を考えるきっかけとなった(写真はコラージュ)
発祥300年目を迎えた八戸三社大祭(7月31日~8月4日)が幕を閉じた。大きな節目の年に訪れたのは、例年以上の盛り上がりではなく、新型コロナウイルスという受難。神輿(みこし)や山車の合同運行は見送られたが、神社では祭礼行事が執り行われ、祭り.....
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 発祥300年目を迎えた八戸三社大祭(7月31日~8月4日)が幕を閉じた。大きな節目の年に訪れたのは、例年以上の盛り上がりではなく、新型コロナウイルスという受難。神輿(みこし)や山車の合同運行は見送られたが、神社では祭礼行事が執り行われ、祭りとしての歴史はつむがれた。三社大祭は本来、五穀豊穣(ほうじょう)を願う神事で、近年、山車運行や観光面に目が向けられる中、あらためて祭りの本質を見詰め直す機会になったと言える。神事の重みを受け止めるなど原点に回帰しつつ、次の100年を見据えた新たな挑戦も求められる。[br] 今年の三社大祭はコロナ禍により、4月に規模縮小が決まった。しかし、市民の間に広がったのは「三社大祭は中止」という認識。山車が運行しないことを、市民が祭りの取りやめと受け止め、神事としての認識が薄い現状が浮き彫りとなった。[br] おがみ神社の坂本守正宮司は「多くの人が神事ではなく、カーニバルとしての祭りと捉えている。今後の継承に向けて、さらなる周知が必要」と指摘する。[br] 祭りの“華”でもある山車の制作者においても伝統への意識が希薄となりつつあるようだ。山車は年々技術が高まり、多くの人を魅了。その一方で、附祭として神事行列にお供する本来の意義をきちんと理解していないケースもあるという。[br] 全27の山車組で構成するはちのへ山車振興会では今年、各組の垣根を越え、昭和の作風を再現した展示用の小型伝統山車を制作。小笠原修会長は「若手制作者たちに過去と向き合う機会をつくりたかった」と強調。「祭りの保存と継承に向け、一度立ち止まることができたのはプラスに受け止めている」と力を込めた。[br] 同市三日町のマチニワに展示された伝統山車は、大きな注目を集め、市民も祭りについて考えるきっかけにもなった。[br] 特に年配者はその姿に懐かしさを抱き、祭りの在り方に思いを巡らす。その中で聞こえてきたのは、祭りの開催時期への意見。本来は秋祭りとして開かれてきたが、観光客が増える各地の夏祭りに合わせ現在の日程に変更。昨年は延べ約107万人が訪れるなど、市内にもたらす経済効果は大きいが、同市城下に住む女性(73)は「いつの頃からか市民の祭りではなくなったように感じる」と吐露する。[br] 三社大祭では古くから、神社行列の神輿に向かって手を合わせ、1年の家内安全や商売繁盛を願う祭礼文化が脈々と受け継がれてきた。しかし、近年は地域や家族のつながりが希薄となり、語り継ぐ人も少なくなってきたことから、その姿も減少。祭りは元来、神様が自分たちのいる場所に姿を現す特別な日でもあり、そのありがたさをかみ締めたい。[br] 祭り参加者の確保も重要な課題だ。今回、山車運行がなかったにもかかわらず、マチニワなどでは、各山車組がお囃子(はやし)を披露し、多くの“祭りっ子”が元気を発信した。特に高校生らは地元を離れても、また参加したいとの意向を示しており、気軽に戻ってきてお囃子や山車作りに参加できる仕組みづくりが重要だ。[br] 全国的に新型コロナの感染拡大が続いており、来年以降もまだ先の見えない状況が続く。ただ、今回、市民の心の中には祭りをより大事にし、守り抜く決意が芽生えたのは間違いない。伝統を重んじた革新が、三社大祭の次の100年を明るく照らす鍵を握る。 発祥300年目を迎えた八戸三社大祭。神社や山車の合同運行が中止となったが、今後の祭りの在り方を考えるきっかけとなった(写真はコラージュ)