【連載・東京パラ「リスタート」】(5・完)大井利江(砲丸投げ)

東京パラリンピック開催を信じて、投てき練習に励む大井利江=3日、洋野町種市運動場 
東京パラリンピック開催を信じて、投てき練習に励む大井利江=3日、洋野町種市運動場 
緑色の芝が広がる今月初めの洋野町種市運動場。ここが東京パラリンピック砲丸投げ代表候補・大井利江(71)=洋野町在住=の練習拠点だ。コロナ禍で一時は使用中止となったが、5月末から再開。“ホームグラウンド”での練習は、管理担当者が投てき台を準備.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 緑色の芝が広がる今月初めの洋野町種市運動場。ここが東京パラリンピック砲丸投げ代表候補・大井利江(71)=洋野町在住=の練習拠点だ。コロナ禍で一時は使用中止となったが、5月末から再開。“ホームグラウンド”での練習は、管理担当者が投てき台を準備し、ほぼ握力がない左手には家族が砲丸を乗せてくれる。何度も上半身を大きく反らし、その反動と腕の力で砲丸を投じた。「みんなの支えがあって練習でき、ここまでこられたんだ」と汗を拭った。[br] アテネ、ロンドンパラでメダルを獲得した円盤投げのクラスがなくなった。一時は引退も考えたが、20年東京パラの開催が決まり「正真正銘、一生に一度。間に合わせたい」と砲丸投げへの転向を決断。利き腕の右手は十分に腕が上がらないため、左腕を鍛え、6年間練習を続けてきた。「キャリアがまだ浅く、修正するところがいっぱい。まだまだ伸びしろはある」と強調し、パラ延期にも「もっと記録を伸ばすチャンスだと思えるようになった」。古希を過ぎてもなお、悲壮感はない。[br] 東京パラを応援してくれる町の人、支えてくれる人への「恩返しの場」に位置付ける。過去4大会は時差がある遠い場所で戦ってきたが、今回は違う。「みんなと同じ瞬間を過ごし、生中継で試合を見てもらえると思ったら気持ちが違う」と気合が入る。[br] 昨年11月の世界選手権は5位で、代表内定が決まる「4位以内」に一歩届かなかった。今は「7メートル12」の参加標準記録突破が最大目標。砲丸を握れず、手首のスナップも利かない。他選手より障がいの程度は重いが、「砲丸にうまく力が伝わる瞬間がある。条件がそろえば、7メートル50はいくんじゃないかな」と前向きだ。[br] “東京”後は、引退も考えている。「大会中止の不安もある。でも、一生に一度のこと。やってほしい」。開催を信じて、コロナ禍でも一投一投と向き合ってきた結果、7メートル越えが近づいてきた。「目標まであと少し」。準備は整いつつある。東京パラリンピック開催を信じて、投てき練習に励む大井利江=3日、洋野町種市運動場