【連載・八戸三社大祭「伝統の原点へ」】インタビュー編(2)「祭りの楽しさ感じる場所」長者山新羅神社宮司・柳川浩志さん(82)

「長者山は祭りならではの楽しさを感じる場所」と語る柳川浩志さん=13日、八戸市
「長者山は祭りならではの楽しさを感じる場所」と語る柳川浩志さん=13日、八戸市
八戸三社大祭は、本来の趣旨である宗教的な祭礼としての性格に加え、多くの人々が年に一度集う楽しみの場としても親しまれてきた。長者山新羅神社で宮司を務める柳川浩志さん(82)は「龗(おがみ)神社が祭礼の起源だとすれば、長者山は祭りならではの楽し.....
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 八戸三社大祭は、本来の趣旨である宗教的な祭礼としての性格に加え、多くの人々が年に一度集う楽しみの場としても親しまれてきた。長者山新羅神社で宮司を務める柳川浩志さん(82)は「龗(おがみ)神社が祭礼の起源だとすれば、長者山は祭りならではの楽しさを感じる場所」と、それぞれの存在意義を強調する。(聞き手・井上周平)[br] ―三社大祭における長者山新羅神社の役割は。[br] 1721(享保6)年、法霊社(現龗神社)の神輿(みこし)行列が長者山の御旅所(おたびしょ)へ渡御したことを起源に、長者山では毎年のように三社大祭の祭礼を担ってきた。その一方、期間中の境内では芝居や見せ物の小屋、夜店が立ち並び、若者を中心に大いににぎわったと言い伝えられており、古文書でも確認できる。[br] 騎馬打毬(だきゅう)も、元々は新社殿と馬場の整備を記念して、三社大祭に登場した。現在は八戸騎馬打毬会が中心となり、昔ながらの形式を守り継いでくれている。華やかな山車行列も、時代の変遷を反映しながら発展してきた楽しみの一つと考えていいだろう。[br] ―長者山が楽しみの場になった背景について。[br] 長者山、龗とも八戸藩の影響が大きかったことは共通しているが、龗が城下町の中心に位置していたのに対し、長者山はそこからやや離れた自然豊かな場所だったからではないか。実際、現在の敷地も約5千坪と広く、毎朝のラジオ体操や夏季の「森のおとぎ会」など、地元住民の日常的な集いの場、私設公園のような機能も果たしている。[br] ―300年の節目をどう捉えているか。[br] 時代に合わせることも大事だが、伝統を守り続けるにも多大な労力が要ることを忘れないでほしい。新羅神社も施設の老朽化や自然災害による被害にたびたび見舞われており、祭りに使用する道具類の修繕も多額の経費が必要だ。華やかな祭りを支える裏方の地道な努力にも目を向けてもらいたい。[br] ―新型コロナウイルスの影響で、今年は祭礼のみの実施となった。[br] 三社大祭は五穀豊穣(ほうじょう)の祈願と感謝が本来の祭礼だが、豊かな実りが人々の健康につながるという意味では、疫病退散や無病息災の願いにもつながっている。今月中旬に行われた新羅神社の例祭でも、コロナの早期収束を強く祈った。[br] 祭りの縮小は寂しいことだが、感染拡大を未然に防ぐ意味でも致し方ない。今後の祭りの在り方について、市民全体で議論と理解を深める機会にすることが大事ではないか。「長者山は祭りならではの楽しさを感じる場所」と語る柳川浩志さん=13日、八戸市