学びを力に 妻の死乗り越え 天聖寺(八戸)僧侶の林さん 

「これからも学び続ける」と穏やかに語る林竹人さん 
「これからも学び続ける」と穏やかに語る林竹人さん 
朗らかな笑みに、穏やかな口調。多くの人を包み込むような優しさをまとう天聖寺(八戸市)の僧侶林竹人さん(70)。年齢的にもベテランの雰囲気をかもすが、市内小学校で校長を務めた後、その身を仏門へとささげた異色の経歴を持つ“若手”の僧でもある。僧.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 朗らかな笑みに、穏やかな口調。多くの人を包み込むような優しさをまとう天聖寺(八戸市)の僧侶林竹人さん(70)。年齢的にもベテランの雰囲気をかもすが、市内小学校で校長を務めた後、その身を仏門へとささげた異色の経歴を持つ“若手”の僧でもある。僧に転身したきっかけは、最愛の妻の死。心の救いを求めた末、仏の道を歩み出した。文化や歴史も積極的に学び、今年3月には京都の大学院で博士号を取得。林さんは「ようやくスタートに立てた。多くの人に寄り添っていきたい」と意欲を新たにしている。[br] 大学卒業後の1972年から、夢だった小学校の教員として子どもたちと多くの時間を過ごしてきた。2003年には自ら志願し、チリの日本人学校長に着任。現地と故郷の文化を教え、国際的な人材を育てることにやりがいを感じた。[br] そんな中だった。日本人学校長の任期があと2カ月に迫った2005年1月、現地に同行していた妻が余命半年の宣告を受けた。病名はがん。先に日本に帰ることになり、林さんは失意の中、任期終了まで、異国の地で一人過ごした。[br] 帰国後、付きっきりで妻との最期の時を過ごした。宣告よりも4カ月長く生きられたが、「なぜ死んでしまったんだ。認めたくない」という気持ちでいっぱいだった。[br] 「救われたい」。林さんはその一心で、八戸市内の小学校校長を務める傍ら、通信課程で仏教文化を学び始めた。勉強に集中する時だけ、苦しいことを忘れられた。子どもたちに「人と人は支え合っている」と話してきたが、仏教にもつながっていると思えた。[br] 定年退職後、若者に交じって修行に励み、僧侶となった。その間、仏教大大学院に進み、浄土宗の教えを描いた曼荼羅(まんだら)について研究。成果は930ページの論文にまとめ、博士号を取得した。「仏の教えを学んだことで、つらかった妻の死をようやく受け入れられるようになったかな」と目を細める。[br] 自身の苦しみを、学ぶという挑戦で乗り越えた林さん。寺では、訪れる相談者の苦痛を分かち合い、救いの一助になるように心掛けている。[br] 「不安が重なり、つらい現実を受け入れられないこともある。そういう時は、今日取り組みたいことを見つけるだけでもいい。それが精神的な支えになり、一日の終わりには気持ち良く眠ることができるよ」。自身の経験を振り返りながら語った林さんの言葉に、一層力がこもった。「これからも学び続ける」と穏やかに語る林竹人さん