天鐘(5月3日)

原敬は苦学を経て新聞記者になり、後に官界、政界へ進む。藩閥政治を切り崩し、本格的な政党政治を実現する。爵位を持たない「平民宰相」。強硬姿勢は批判を集めたが、地方振興や教育充実に功を遺した▼北村益は八戸を産業都市に導いた政治家の一人。海から拓.....
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 原敬は苦学を経て新聞記者になり、後に官界、政界へ進む。藩閥政治を切り崩し、本格的な政党政治を実現する。爵位を持たない「平民宰相」。強硬姿勢は批判を集めたが、地方振興や教育充実に功を遺した▼北村益は八戸を産業都市に導いた政治家の一人。海から拓く“大八戸発展構想”を掲げ、築港と久八線(八戸線)の全通に尽力した。人材育成では八戸義塾(後の八戸青年会)を創設。風流な俳人でもあった▼時の首相と八戸町長は、政治とインフラ整備で結託する。つないだのは恩師の縁。盛岡藩校で原に、義塾で北村に薫陶を与えた宇部村(久慈市)の小田為綱。多彩な顔を併せ持つ経世家である▼脚光を浴びたのは没後70年を経てから。政府側の憲法草案に批評を加えた『憲法草稿評林』の発見である。為綱が関わったとされる私擬憲法。明治初期の自由民権運動のうねりは、民間による空前の創憲ブームも伴っていた▼評林は天皇を絶対的な存在とせず、議会の権限強化をうたった。50を超える私案の中でも特に民主的とされる。注目に値するのは先見性だけでない。闊達(かったつ)な議論が北奥羽の地に存在した史実である▼感染症の影響で沈滞しているが、改憲論議の主役は政治家でなく国民である。先人の気概に改めて気付かされる。政治の思惑に振り回されることなく、自らの問題として考えたい。憲法記念日に自覚する主権者の責務。