天鐘(3月17日)

「生産性」という言葉が、労働現場で唱えられるようになったのはいつ頃からだろう。今や各企業、各職場の重要な目標基準。ややもすると、生産性の向上に追い立てられがちになる▼経済が落ち込む中で人手不足は深刻。少ない人数でいかに作業効率を上げるか。盛.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 「生産性」という言葉が、労働現場で唱えられるようになったのはいつ頃からだろう。今や各企業、各職場の重要な目標基準。ややもすると、生産性の向上に追い立てられがちになる▼経済が落ち込む中で人手不足は深刻。少ない人数でいかに作業効率を上げるか。盛んに掲げられる生産性だが、あの事件以来、この言葉を聞くと時に胸が苦しくなる。違和感と言ったらいいのだろうか▼2016年7月、相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で、元職員の男が入所者19人を殺害した事件。「重度障害者は不幸のもと」「お金と時間を奪っている」と述べて、大きな衝撃を与えた▼身勝手な理由で命を奪った凶行は許されない。事件と同列にして触れるつもりはないが、どこかで優生思想が重なる。人を能力で選別し、生産性の有無を付けるような考え方。差別と排除の土壌を作ったのではないかと▼裁判員裁判で、昨日判決が出たが、これで終わる問題ではない。同じ社会構造の中で生きている以上、事件は一人一人につながり、問い掛けている。生産性を過度に重視する今の世の風潮もまた、人に歪(ゆが)んだ価値観を擦り込んでいないか▼少子高齢化、国の財政難。社会に余裕がなくなると、弱者を排除しようとの心理が生まれやすいという。差別する側にも、される側にもなり得る。事件が突き付けた問題から目を背けず、考え続けたい。