故孫基禎さんの生涯、日韓両国で再注目 朝鮮出身マラソン日本代表金メダリスト

 1936年ベルリン五輪のマラソンで優勝した孫基禎さん(中央)。表彰式では国旗を見ず、下を向いた
 1936年ベルリン五輪のマラソンで優勝した孫基禎さん(中央)。表彰式では国旗を見ず、下を向いた
東京五輪を控え、朝鮮半島出身で1936年ベルリン五輪男子マラソンの日本代表金メダリスト、故孫基禎(ソンギジョン)さんの生涯に日韓両国で改めて注目が集まっている。韓国では日の丸を背負った孫さんを「亡国の悲劇」とする捉え方が強まり、日本では過度.....
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 東京五輪を控え、朝鮮半島出身で1936年ベルリン五輪男子マラソンの日本代表金メダリスト、故孫基禎(ソンギジョン)さんの生涯に日韓両国で改めて注目が集まっている。韓国では日の丸を背負った孫さんを「亡国の悲劇」とする捉え方が強まり、日本では過度な英雄視への批判的な考察が提示された。歴史に翻弄(ほんろう)されたオリンピアンへの視線は交錯している。[br][br] 「民族の自尊心を示した偉大な勝利」。昨年8月15日、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は植民地解放記念日の演説で孫さんを取り上げた。「だが、栄光をささげる国がなかった」 国際オリンピック委員会(IOC)は孫さんを日本の金メダリスト「キテイ・ソン」と記録。韓国側の働き掛けで「ソン・ギジョン」の表記が加わったが、公式上は日本代表のままだ。ソウルにある銅像の台座には「国を失った悲しい勝利者」と刻まれている。[br][br] 韓国では昨夏、明治大の寺島善一名誉教授による評伝が翻訳出版された。ベルリンの表彰台でうつむいた孫さんの写真を巡り、「日本への抵抗」とした本人の後日談を基に「後に米スポーツ界で広がる反人種差別運動の源流」だとの説を披露し、話題を集めている。[br][br] 別の視点から研究を進めたのは在日コリアン3世で日本国籍を持つ札幌大の金誠教授。「日本と植民地期の朝鮮半島、戦後の韓国で孫さんが英雄化された状況」を批判的に論じた新書を昨年出版し、戦時の学徒志願兵募集などに協力したことも指摘した。表彰台でこうべを垂れた孫さんについて金教授は「この姿勢が当時、抵抗の表現だったかどうかは分からない」と話す。[br][br] 孫さんの優勝を日本が植民地支配の成果と結び付け「日本の勝利」と宣伝したのに対し、朝鮮知識層は「民族の優秀性」だと抵抗。現韓国紙・東亜日報の記者らが表彰台の孫さんの胸から日の丸を消した写真を紙面に掲載、停刊処分となる事件も起きた。日本側は民族感情の高揚を恐れ孫さんの言動を警戒。孫さんは明治大に進学したが、競技継続は断念した。[br][br] 金教授は、後の韓国では「民族の英雄」にふさわしい人物像が求められ、実態以上の「悲劇と抗日」のストーリーが盛られていったとも見る。[br][br] 選手間の競争であって国家間の争いではないとうたう五輪憲章の精神に反し、1人のアスリートを奪い合った日本と朝鮮半島。そのはざまでストレスにさいなまれつつ、孫さんは戦後も日本の恩師や仲間を大切にし、韓国スポーツ界を率いて日韓交流に尽力した。[br][br] 息子の孫正寅(ソンジョンイン)さん(77)は昨年末、日本で父を慕う人々が集った酒席で語った。「父は幸せな男。貧しい家に生まれ、金メダルを取り(韓国の)国立墓地で眠っている。それが全てだ」(共同) 1936年ベルリン五輪のマラソンで優勝した孫基禎さん(中央)。表彰式では国旗を見ず、下を向いた