天鐘(4月16日)

この年になっても小学校の校歌はちゃんと覚えている。その歌詞は子供には難解で、当時は意味が分からなかった。6年間歌い続けて、身に染みこんだのだろう▼中学校の校歌の記憶は、ちょっとあいまいだ。大声での合唱が気恥ずかしかったせいもある。高校に入っ.....
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 この年になっても小学校の校歌はちゃんと覚えている。その歌詞は子供には難解で、当時は意味が分からなかった。6年間歌い続けて、身に染みこんだのだろう▼中学校の校歌の記憶は、ちょっとあいまいだ。大声での合唱が気恥ずかしかったせいもある。高校に入って再び声を張り上げたのは、先輩たちの厳しい“歌唱指導”があったから。それぞれの胸に懐かしい校歌の思い出があろう▼新年度を迎え、本紙の連載『私たちの校歌』が始まった。隔週日曜、各学校で歌い継がれる校歌を紹介する。初回の八戸小に、歴史と伝統を見る。母校の登場を心待ちにしている人もいるかもしれない▼ふるさとの自然を折り込みながら、校歌はいつも優しく子供たちを包む。強くあれ、そして心豊かであれ。普遍のメッセージは、どの時代も温かい。考えてみれば、これほど子供を応援してくれる歌も他にはなかろう▼ふと口ずさめば、あの難しかった歌詞が、今は心に染みる。「後で効いてくるのが校歌。これを“コウカ満点”という」とは、ある高校の歌を作ったさだまさしさん。巣立ってなお人を結び、故郷を思い出させる校歌の力▼学びやの歌声が小さくなっている。卒業式や入学式、コロナで校歌斉唱を我慢した学校も少なくなかった。切なかったのは、顔半分だけの涙や笑顔。マスクを外し、自慢の校歌を元気に歌う―そんな日を一日でも早く。