愛する人に語り掛けながら静かに手を合わせる。再起を目指して一心不乱に仕事に打ち込む。いまだ帰れない遠いふるさとへ想いを寄せる―。節目の3・11を迎えた。[br][br] 10年で変わったものがある。[br][br] 元の場所に、切り開いた高台に、新たな街ができた。海沿いには暮らしを守る防潮堤。この北奥羽の地でも、公共事業の集中投下によって、失われた生活の基盤が整いつつある。[br][br] 難所を貫く三陸沿岸道路は有事に備えた「命の道」であり、経済活性化の一翼を担う「復興の道」。震災によって立ち遅れていた事業が急加速したのは皮肉だが、八戸と仙台を結ぶ基軸への期待は大きい。[br][br] 10年で変わらなかったものがある。 絶対にないとされた原発事故は、安全神話に寄りかかってきたが故の人災だった。深い反省から安全規制の基準を厳格化したのは当然である。[br][br] 原子力政策を巡る矛盾が改めて浮き彫りになった。だが、国が脱原発を指向したのは一時的で、掛け声倒れに終わった。再生可能エネルギーの拡大もおぼつかない。時計の針が逆戻りしているようにも見える。[br][br] 10年では変えられないものがある。[br][br] にぎわいを取り戻そうと、まちづくりに奮闘する人がいる一方で、ふるさとから離れる決断をした人もいる。少子高齢化、人口流出が復興に影を落とす。[br][br] 縮む社会への対応は、地方が以前から抱える課題。連帯感が強いとはいえ、コミュニティーの再生も容易ではない。心のケアと併せ、きめ細やかで息の長い支援が求められよう。[br][br] 10年で変えてはいけないものがある。[br][br] 大震災の衝撃がさめやらないうちに、熊本県や北海道で多くの死傷者と被害を伴う地震が起きた。さらには豪雨による深刻な風水害が全国各地で続発している。[br][br] リスクを認識し、正しい行動を身に着ける。自然の脅威を目の当たりにして、多くのことを学んだ。今までも、これからも、生かしてこその教訓である。命を守る心構えと備えを、これからも常に意識したい。[br][br] 10年で得たものがある。[br][br] 震災は未曽有の被害をもたらした。目を背けたくなるような現実も突き付けた。それでも、人々は「絆」を合言葉に手を取り合い、前を向いてきた。[br][br] 復興は道半ば。結びつきを保っていきたい。そして、記憶を語り継ぐことも、震災後の今と未来をつなぐ大切な絆である。