震災時の体験原点、機関士の夢実現 「ちきゅう」乗船していた小松さん

“あの日”の出会いをきっかけに、小松幸生さんは機関士として海の安全に全力を注いでいる=2月上旬、八戸市
“あの日”の出会いをきっかけに、小松幸生さんは機関士として海の安全に全力を注いでいる=2月上旬、八戸市
“あの日”の出会いから、夢をつかんだ人がいる。東日本大震災の発生時、八戸市立中居林小5年だった小松幸生さん(21)。体験学習の一環で、八戸港に停泊していた海洋研究開発機構(JAMSTEC)の地球深部探査船「ちきゅう」に乗船していた。津波を避.....
有料会員に登録すれば記事全文をお読みになれます。デーリー東北のご購読者は無料で会員登録できます。
ログインの方はこちら
新規会員登録の方はこちら
お気に入り登録
週間記事ランキング
 “あの日”の出会いから、夢をつかんだ人がいる。東日本大震災の発生時、八戸市立中居林小5年だった小松幸生さん(21)。体験学習の一環で、八戸港に停泊していた海洋研究開発機構(JAMSTEC)の地球深部探査船「ちきゅう」に乗船していた。津波を避けるため船は沖へと逃れ、同級生たちと船内で夜を過ごしたが、恐怖はなかった。船員たちが窓のカーテンを閉めて津波が見えないようにし、歌などで明るく盛り上げてくれたからだ。そして今、自身も船の機関士となり、乗客と船の安全に全力を注いでいる。[br][br] 2011年3月11日、ちきゅうでは同校5年生48人を招いた特別公開が行われていた。最新鋭の技術や設備について学び、下船準備をしていると、ゆったりと長い揺れに襲われた。船上では強い地震には感じなかったが、船が慌ただしく沖へと離れていくため、「何かが起きている」ことは理解できた。[br][br] 緊迫感が立ち込め、同級生たちに徐々に不安の色が広がり始めていた時、船員の一人が合唱を提案。校内の発表会に向けて練習をしてきた人気バンド「THE BOOM」の「風になりたい」を一緒に歌うと、張り詰めていた空気が和らいでいくのを感じた。[br][br] 翌日、船上に駆け付けたヘリコプターで救助されたが、その時初めて八戸港に津波が押し寄せ、大きな被害が出ていることを知った。打ち上げられた漁船やがれきの山に目を疑った。「これを見せないようにしてくれていたんだ」。カーテンを締め切っていた理由がその時分かった。[br][br] そこから、ちきゅうの乗組員との交流が始まった。手紙のやりとりに加え、翌12年には、乗船していた児童全員が再び招待されたほか、小学校卒業時はサプライズのビデオレターも送られた。[br][br] 県立八戸水産高3年時に行われた3度目となる招待乗船で、将来が大きく切り開かれた。巨大な船を動かす楽しさや魅力を生き生きと語る乗組員の様子や、エンジン整備の重要性を肌で感じ、「ずっと見えてこなかった自身の目指すべきものが、ようやく見えた」。 高校卒業後、同校の専攻科に進み、国家試験の1級海技士を取得するなど、機関士として必要な知識や技術を習得。「自分たちを守ってくれたあの人たちのようになりたい」と、思いは日に日に高まった。[br][br] そして昨春、船舶の管理を行う「共栄マリン」(本社東京)に就職し、夢をかなえた。船のエンジンや機器の点検など慌ただしい毎日だが、一日の終わりには充実感が体を包む。[br][br] 自身が機関士となってみて分かったことがある。「あの日、船内でも何が起きるか分からない状況の中、船員たちは自分たちを笑顔で守ってくれた。なかなか判断できるものでもなく、感謝の思いはさらに大きくなった」とかみ締める。[br][br] 昨年、当時のちきゅうスタッフと会う機会があった。「船乗りになってくれてうれしいよ」と声を掛けられ、心の底から選んで良かったと思えた。「いつか、ちきゅうのスタッフに負けないエンジニアになりたい」。それが恩返しになると信じている。“あの日”の出会いをきっかけに、小松幸生さんは機関士として海の安全に全力を注いでいる=2月上旬、八戸市