【連載・聖地でファイト八戸西】(中)初代監督の上野弘昭さん

「やっと夢がかなった」と喜ぶ八戸西初代監督の上野弘昭さん。大会開幕を心待ちにしている=4日、八戸市内
「やっと夢がかなった」と喜ぶ八戸西初代監督の上野弘昭さん。大会開幕を心待ちにしている=4日、八戸市内
「やっと夢がかなった思い」。八戸西の甲子園初出場をかみ締めるように喜んでいるのは、初代監督の上野弘昭さん(75)だ。高校野球での約40年の指導者生活の中で、同校では1975年の創立から9年間指揮を執り、78年、79年には夏の青森大会で2年連.....
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 「やっと夢がかなった思い」。八戸西の甲子園初出場をかみ締めるように喜んでいるのは、初代監督の上野弘昭さん(75)だ。高校野球での約40年の指導者生活の中で、同校では1975年の創立から9年間指揮を執り、78年、79年には夏の青森大会で2年連続準優勝。今や県内公立校では強豪の一角に挙げられるチームの礎を築いた。[br][br] 市立三条小時代に野球を始め、八戸高では内野手として活躍。ただ、高校3年間で1度も甲子園の夢をかなえられず、「今度は教員として“聖地”に挑戦したい」と県内の体育教師を目指した。日体大を卒業し、五戸、百石を経て3校目の赴任先が八戸西だった。[br][br] 新設校だけに基本的な練習用具すら不十分。前任地の百石や母校の八戸と合同練習するなど協力を受けながらの船出だった。「練習方法、グラウンド整備のやり方から他校の協力を得て、成長してきた」。指導方針は「自滅しない野球」。守備練習の厳しさには定評があり、「教え子に好かれるような指導者ではなかった」と苦笑い。[br][br] それでも創立から4、5年目には、3期生の本格派左腕・助川清隆(前監督)らを擁して夏の青森大会で2年連続準V。だが、その先の“あと一歩”が遠かった。上野さんは「監督として力不足だった」と話す。[br][br] その後も高校野球の現場にこだわり、八戸や三沢商、八戸工などで監督、部長を務めて定年を迎えた。八戸では85年夏に部長として甲子園の土を踏んだ。[br][br] 八戸西での“上野イズム”は、助川前監督に受け継がれ、さらに助川前監督の教え子でもある25期生の小川貴史監督へと継承されている。「八戸西は“第2の母校”。大舞台から校歌を聴かせてくれれば」と上野さん。エールを送る目には優しさがあふれている。「やっと夢がかなった」と喜ぶ八戸西初代監督の上野弘昭さん。大会開幕を心待ちにしている=4日、八戸市内