【震災10年】復興の象徴「走り続けて」 乗客守った三陸鉄道マン

 三陸鉄道の駅にたたずむ元運転士の森田修さん=1月、岩手県宮古市
 三陸鉄道の駅にたたずむ元運転士の森田修さん=1月、岩手県宮古市
東日本大震災の津波被害から立ち直った、岩手県沿岸部を走る「復興の象徴」三陸鉄道。地震の瞬間、走行中の列車を停止し乗客を守った元運転士森田修さん(56)は「いつまでも走り続けてほしい」と強く願う。自宅前を線路が通り、父も運転士。三鉄は自身にも.....
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 東日本大震災の津波被害から立ち直った、岩手県沿岸部を走る「復興の象徴」三陸鉄道。地震の瞬間、走行中の列車を停止し乗客を守った元運転士森田修さん(56)は「いつまでも走り続けてほしい」と強く願う。自宅前を線路が通り、父も運転士。三鉄は自身にも、地域にも大きな存在だ。[br][br] 「止まれ、止まれ」。無線機からのノイズ混じりの指示に、久慈発宮古行き列車を緊急停止させた。2011年3月11日午後2時46分、白井海岸駅を出発した直後に震災が発生。停止位置は津波の危険はない山中だったが「時間と場所が少し違えば危なかった」。[br][br] 15人の乗客の中には足腰が弱った高齢者がおり、車内にとどまると決断。軽油で動くディーゼル車で暖房が使える上、トイレがあることも幸いした。日頃は「少しうるさく感じていた」高校生のおしゃべりが空気を明るくする。午後7時すぎに消防署員らが到着。乗客の表情が和らぎ、少し落ち着いた。運行本部長の金野淳一さん(60)は「冷静かつ的確な対応をしてくれた」とたたえる。[br][br] 壊滅的被害にも、三鉄は「復興のために」と、比較的被害が小さかった久慈―陸中野田間、田老―宮古間を3月20日までに相次いで再開した。試運転では、子どもが手を振って喜んでいた。[br][br] 自身も家族も無事だったが、震災の記憶は心の重荷となる。海産物は1年半ほど口にできず、当日の乗客対応が適切だったか考え込み、眠れない日も。時間の経過で復調したが、家庭の都合もあって18年に退職した。[br][br] 三鉄は19年3月、JR山田線宮古―釜石を移管され「リアス線」として再出発した。同9月に沿線の鵜住居うのすまい駅近くの競技場で行われたラグビー・ワールドカップの試合には「世界からの支援に感謝を伝えたい」と三鉄で駆け付け、大漁旗を振って観客を出迎えた。[br][br] 翌10月の台風19号で、三鉄は再び被災。全線再開後も新型コロナウイルスの影響を受けた乗客減に苦しむ。「地元からも、もっと多くの人が乗って応援してほしい」と呼び掛ける。 三陸鉄道の駅にたたずむ元運転士の森田修さん=1月、岩手県宮古市