【引き渡し後の津波犠牲】保護者との話し合い不可欠

 2011年3月11日、地震直後に園庭に集まる山田町第一保育所の園児ら=岩手県山田町(同所提供)
 2011年3月11日、地震直後に園庭に集まる山田町第一保育所の園児ら=岩手県山田町(同所提供)
東日本大震災では、保育園・幼稚園や学校からほかの子どもと一緒に避難すれば助かったのに、迎えに来た保護者に返して津波の犠牲になった子どもが多い。保護者が求めれば引き渡しを拒むのは難しく、識者は「平時から話し合うことが不可欠」と指摘する。 「行.....
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 東日本大震災では、保育園・幼稚園や学校からほかの子どもと一緒に避難すれば助かったのに、迎えに来た保護者に返して津波の犠牲になった子どもが多い。保護者が求めれば引き渡しを拒むのは難しく、識者は「平時から話し合うことが不可欠」と指摘する。[br][br] 「行かせなければよかった」。岩手県釜石市鵜住居町の鈴木堅一さん(77)は、苦悶(くもん)の日々を送る。長男健幸さん=当時(44)=は、登校していた孫の小学5年理子さん=同(11)=を迎えに行き、戻った自宅で妻=同(64)、健幸さんの妻=同(45)=とともに津波にのまれた。[br][br] ほかの児童や隣の中学の生徒は高台へ向かい、助かった。「長男は孫や家族を守りたい一心だったと思う。でも学校と一緒に行動していれば…。学校にいる子どもは学校が守ってくれる。それぞれが逃げることだ」[br][br] ▽ルール[br][br] 岩手県山田町で、津波で浸水した山田町第一保育所は当時、93人の園児が昼寝中だった。主任保育士だった菅原恵子さん(62)らは、迎えに来た保護者に「山手に行ってくださいね」と伝え、61人を引き渡した。[br][br] 残った32人を抱き、裏山に登って難を逃れたが、父親に引き渡した3歳と1歳の姉妹が犠牲となった。「一緒に逃げるべきだった」。菅原さんの悔いは消えない。[br][br] 現在は安全な避難先をあらかじめ保護者に知らせ、そこに直接来てもらうように伝えている。[br][br] 文部科学省は東日本大震災後、学校防災マニュアル作成の手引で、津波などの場合、子どもを引き渡さず、保護者と学校にとどまることや避難を促すことも必要と記載。ルールを決めるよう促した。2019年度の同省調査では、幼稚園や小学校などの8割以上でルールがある。[br][br] 保育園を所管する厚生労働省も、17年に改めた保育所保育指針で「連絡体制や引き渡し方法の確認を」と求めた。[br][br] ▽信頼[br][br] ただ、ルールの詳細は学校や施設に委ねられ、どの程度踏み込んでいるかは分からない。[br][br] 岩手、宮城、福島3県の被災保育園などから聞き取りをした鶴見大の天野珠路教授(保育学)は「津波警報中は引き渡しより避難を優先すべきだ」と訴える。ある保育士は「子どもと自宅に戻る」と保護者に言われ、「危険かもしれないと思ったが、引き渡すしかなかった」と話したという。[br][br] 南海トラフ巨大地震の大津波が懸念される高知県黒潮町。町教育委員会の藤本浩之ふじもとひろゆき教育次長は「『揺れたらすぐ高台へ』が町全体の方針。学校や保育園にいる子どもは学校などが避難させる。親に引き渡しはしない」と言い切る。一方、和歌山県のある自治体担当者は「避難場所で引き渡しをすることにしているが、一律に渡さないとは決めていない」と話す。[br][br] 天野教授は、学校や施設と保護者の「事前の話し合いが鍵」と強調。「避難先や経路も伝え、信頼関係を築く。親子それぞれが身を守り、安全な避難先で落ち合ってほしい」と話している。 2011年3月11日、地震直後に園庭に集まる山田町第一保育所の園児ら=岩手県山田町(同所提供)