【八戸西センバツへ】野球部OB三浦さん「長年の夢かなった」

第61回全国高校野球選手権青森大会で準優勝だった八戸西。当時のメンバーの三浦俊司さん(手前から7番目)は現在もチームのサポートを続けている=1979年7月、八戸市
第61回全国高校野球選手権青森大会で準優勝だった八戸西。当時のメンバーの三浦俊司さん(手前から7番目)は現在もチームのサポートを続けている=1979年7月、八戸市
青森県高校野球界の公立の雄・八戸西に、待ちに待った聖地への“招待状”が届いた。29日に行われた今春の選抜大会出場校選考委員会を経て、同校が21世紀枠での出場が決まり、OBらは歓喜に包まれている。その一人が八戸市八幡の電器店経営三浦俊司さん(.....
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 青森県高校野球界の公立の雄・八戸西に、待ちに待った聖地への“招待状”が届いた。29日に行われた今春の選抜大会出場校選考委員会を経て、同校が21世紀枠での出場が決まり、OBらは歓喜に包まれている。その一人が八戸市八幡の電器店経営三浦俊司さん(59)。高校時代は夏の青森大会で2年連続準優勝と悔しい思いを味わった。卒業後は母校の悲願達成を願って照明や投球マシンの修理などで後輩を支えてきた。「長年の夢がかなった。今の選手たちには感謝の気持ちを伝えたい」―。[br][br] 三浦さんは学校創立年に創部された野球部の3期生で、ポジションは中堅手。同級生には同大会でいまだに破られていない通算三振奪取記録、1試合三振奪取記録を持つ投打の柱・助川清隆さんがいた。夏の青森大会は1978、79年と連続準優勝。歴代OBの中では春夏を通じて最も甲子園に近づいた世代だ。[br][br] 三浦さんは当時の野球部について、「最高の投手が味方にいたため、守りの練習を徹底した。試合ではエラーでの失点を無くすように努めていた」。2度経験した夏の青森大会決勝も、敗れたとはいえ、ともにロースコアの接戦だった。[br][br] 「それなりの好成績を収めたのだから、そのうち後輩たちは甲子園に行ってくれるだろう」。そんな思いで学びやを巣立ち、40年以上が過ぎた。同校1期生である今川一さんとともにOB会を立ち上げ、自身は現在、OB会副会長。日頃は部の練習機器が不調になった際、駆け付けて修理するなど、献身的に支えている。仕事の合間を縫って、練習や試合を見に行くのも楽しみの一つだ。[br][br] やっと待ちわびた日が訪れた。「どんな形であれ、甲子園で母校の校歌が流れるのはうれしいこと。活躍が楽しみだ。行ける状況なら(甲子園に)行きたい」。開幕まで2カ月を切った本番に思いをはせた。同時に「今の選手は元気がよく、見ていて気持ちがいい。甲子園を目いっぱい楽しんでほしい。勝利を届けてくれたら最高!」とエールを送った。第61回全国高校野球選手権青森大会で準優勝だった八戸西。当時のメンバーの三浦俊司さん(手前から7番目)は現在もチームのサポートを続けている=1979年7月、八戸市