平安時代末期に開山された北東北最大の山岳霊場・十和田湖への参詣道の復活を目指す、十和田市のNPO法人十和田歴史文化研究会(小笠原カオル理事長)は1日、市南コミュニティセンターで古道フォーラムを開いた。専門家が現地調査の結果などを紹介し、霊山十和田周辺に残されている歴史的景観の重要性を強調。保存に向けた機運を高めた。[br][br] 調査は昨年11月から今年8月まで、同研究会と十和田湖伝説の伝え方を考える会(中川一樹代表)、中世史を専門とする齊藤利男・弘前大名誉教授らが、開山以来の本道「五戸道」を対象に実施した。[br][br] 五戸道は5つある参詣道の一つで、五戸七崎の永福寺(現在の八戸市豊崎町上永福寺にあった寺)を起点に、月日山(十和田市)から十和田湖に至る。江戸中期に盛岡藩が大々的に整備し、「十和田山新道」と呼ばれた。[br][br] フォーラムには約140人が参加。齊藤名誉教授は、堀道状になっている古道の残存状況や、周辺で発見された石碑や城館跡、奥入瀬渓流沿いにあった修験の行場などを報告した。[br][br] 齊藤教授は、霊山十和田には熊野三山と類似性があるとし、「遺構が手つかずのまま残っている。十和田湖周辺は自然観光一本だが、歴史文化にも注目するべきだ」と話した。[br][br] 専門家4人によるパネルディスカッションでは、今後の活用に向けた課題について意見が交わされた。[br][br] また、10月31日には古道の現地見学会が開かれ、60人が参加。古道の一部を歩いたほか、参詣者の宿場となった集落や、修験者のみそぎ場などを見て回った。[br][br] 五戸道の結界の一つ「月日長根の大おお華表とりい」があったとされる場所に近い、惣辺放牧場南側の展望台も訪問。八甲田や奥入瀬渓流、十和田湖のカルデラが眺望でき、参加者が当時の人々が信仰した景観を見渡した。