天鐘(9月30日)

八戸に乗合自動車がお目見えしたのは1912(大正元)年10月1日。108年前の明日の事。多くの人々は自動車を見たこともなかったのに、突然「ブブーッ」と警笛も高らかにバスが疾駆すると街は騒然となった▼日本に初めて自動車が導入されたのは明治33.....
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 八戸に乗合自動車がお目見えしたのは1912(大正元)年10月1日。108年前の明日の事。多くの人々は自動車を見たこともなかったのに、突然「ブブーッ」と警笛も高らかにバスが疾駆すると街は騒然となった▼日本に初めて自動車が導入されたのは明治33年。皇太子だった大正天皇の成婚を祝い、米国在留邦人から寄贈された。それからわずか12年後、乗合バスとして眼前に現れたのだから、町民の興奮ぶりも頷(うなづ)ける▼それも乗合バスとしては京都、盛岡に次ぎ全国3番目の早さだった。当時、自動車が通ると聞けば弁当持参の見物客が沿道を埋めた。“文明の利器”にお金を払えば乗れる時代の到来に、大いに血が騒いだようだ▼だが、文明の変遷には衝突が付き物。乗合馬車をバスが警笛を鳴らして追い抜くと馬が暴走。またある時は肥樽(こえだる)を積んだ馬車が横転、辺りは悪臭の海に。馬車組合が馬車で道路を封鎖する騒動も起きたという▼狭いでこぼこ道を時速40キロ以上で土煙立てて走った。馬車の5割増し程度の運賃で定時に運行。町民は「速くていいども、料金が高くておっかねぇ」とだんだん尻込み。営業不振で4年後には解散に追い込まれた▼バスは米国のT型フォードとヴィックの計3台。大型に改良したフォードには日本最古の証しである車籍「No.1」の“おまけ”がついた。八戸人の“進取の気性”を物語る逸話の一つである。