天鐘(9月3日)

九戸村では葦雀(ヨシキリ)を「ゲアゲアズ」と呼ぶ。豊臣秀吉の奥州再仕置きで中央軍討手大将を務めた蒲生氏郷(がもううじさと)勢に、撫(な)で切りにされた里人が野鳥に生まれ変わって悲痛に鳴く声なのだ(渡部喜恵子著『南部九戸落城』)という▼三戸南.....
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 九戸村では葦雀(ヨシキリ)を「ゲアゲアズ」と呼ぶ。豊臣秀吉の奥州再仕置きで中央軍討手大将を務めた蒲生氏郷(がもううじさと)勢に、撫(な)で切りにされた里人が野鳥に生まれ変わって悲痛に鳴く声なのだ(渡部喜恵子著『南部九戸落城』)という▼三戸南部氏の跡継ぎを巡る確執から三戸宗家の南部信直と、九戸一族を率いる九戸政実の内紛が勃発したのは、勢力拡張を狙って群雄が割拠する戦国の混乱期だった▼どこにでもあった私闘が今に伝わるのは、秀吉が「天下統一」の仕上げに6万5千の軍勢で僅(わず)か5千が籠城する九戸城を包囲。にもかかわらず“九戸党”は怯(ひる)まず、戦い抜いて散った潔さへの身(み)贔屓(びいき)故(ゆえ)なのだろう▼429年前の秋風が吹く頃だ。馬淵川など3河川と断崖で守られた九戸城。狭隘な盆地に威容を誇るものの、何せ敵勢は13倍と桁外れ。取り囲む信直ら各陣から沸き起こる人馬の唸(うな)りを政実はどう聞いたのか▼包囲は天正19(1591)年9月2日に始まり、城は猛攻に耐えたが4日には政実以下が投降。籠城者は二ノ丸に押し込まれて火が放たれ、逃げれば鉄砲の餌食に。150余の首が刎ねられた(『浅野家文書』)▼撫で切りである。政実以下8人は宮城県で斬首された。善も悪もない。地域の諍(いさか)いが天下統一の仕上げにぶつかり、視野の広さと情報量の違いが明と暗をことさら増幅させる結果に。歴史の分岐はいつも見逃しそうなほど些細だ。