天鐘(4月22日)

ハンコが高校の卒業記念品だった。当初は「どうして?」と訝(いぶか)しんだが、使い始めて合点がいった。判を押す手が辿々(たどたど)しい のは不慣れだから。それにも増して、大人としての責任の重さに背筋が伸びる気がした▼ハンコはかつて公や権力の証.....
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 ハンコが高校の卒業記念品だった。当初は「どうして?」と訝(いぶか)しんだが、使い始めて合点がいった。判を押す手が辿々(たどたど)しい のは不慣れだから。それにも増して、大人としての責任の重さに背筋が伸びる気がした▼ハンコはかつて公や権力の証しだった。古代メソポタミアから世界に広まったとされる。日本でも古くから存在したものの、一般に浸透したのは商業が発展した江戸時代。これほど「署名捺印」が重視される社会は世界に例がない▼特有のハンコ文化に対する逆風が、コロナ禍で勢いを増している。外出抑制や接触削減が叫ばれる中、「印鑑をもらわないと」と先を急ぐサラリーマン。在宅勤務を拒む慣習として、やり玉に挙げられる▼効率化を追求する急進派にとって、ハンコは世界標準からかけ離れたガラパゴス。生産性の低さを象徴する存在だ。行政の電子化を推進する国の実行計画ですら「デジタル化の障壁」と手厳しい▼会社なら代表印や角印、個人なら実印、銀行印、認め印。契約や公文書には常にハンコが付きまとう。簡略化は歓迎したい。一方で電子文書の信頼性を保証する仕組みは十分なのか。現状は心もとない▼さて政府のコロナ対策である。きっと決裁に手間取り、迷走しているのだろう。拙速は勘弁してほしいが、スピード不足も困る。決断のハンコは本来なら明確な意思を示す。今のところは太鼓判を押せない。