天鐘(4月19日)

若い時分に世話好きの上司からよく言われた。「ないとき辛抱、あるとき我慢」。「ない」と「ある」の順番は曖昧だが、倹約の勧めである。その語呂の良さから今でも忘れない▼実践のほどは別にして、さて、その「我慢」と「辛抱」はどう違うのか。今になって妙.....
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 若い時分に世話好きの上司からよく言われた。「ないとき辛抱、あるとき我慢」。「ない」と「ある」の順番は曖昧だが、倹約の勧めである。その語呂の良さから今でも忘れない▼実践のほどは別にして、さて、その「我慢」と「辛抱」はどう違うのか。今になって妙に気になり手元の辞書を繰ってみた。【我慢】〈たえしのぶこと。忍耐〉。【辛抱】〈我慢すること〉。うーん▼辛抱と言えば、相撲の稽古をまず思う。将来の三役、横綱を夢見て辛(つら)さに耐える。「三年先の稽古」と言う。目指すものがあるから、今が苦しくても頑張れる。そのニュアンスにはどこか前向きな意思がにじむ▼「我慢」はどうか。勝手な想像だが、自分を押し殺して嫌なことに耐える図が浮かぶ。辛抱に比べて先の光が見えにくいが、皆さんはいかがだろう。〈我慢には不満が、辛抱には希望がある〉と、何かで読んだ▼緊急事態宣言が全国に広がり、我慢と辛抱を一層強いる。緊迫の日々はなお続く。一方で、対策で迷走、ドタバタを演じる国には「もう我慢ならぬ」の厳しい声も。限度を超える忍耐には感情もとがる▼出口の見えないトンネルである。それでも光を信じて、今こそ「辛抱」で行きたい。文字通り「辛いを抱える」日常に気持ちは切らすまい。あれこれの自由がどんどん減っていく。その嘆きをぐっとこらえて、つぶやいてみる。「ないとき辛抱」。