天鐘(2月26日)

1889(明治22)年に大流行した風邪を恐れた庶民は、玄関に「久松留守」と書いた紙を張った。歌舞伎の人気演目『お染久松(そめひさまつ)』の悲恋物語から「お染風邪」と呼ばれ、うちに恋仲の久松はいないよ―と追い払う洒落(しゃれ)だった▼その遊び.....
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 1889(明治22)年に大流行した風邪を恐れた庶民は、玄関に「久松留守」と書いた紙を張った。歌舞伎の人気演目『お染久松(そめひさまつ)』の悲恋物語から「お染風邪」と呼ばれ、うちに恋仲の久松はいないよ―と追い払う洒落(しゃれ)だった▼その遊び心には感心したが、風邪はロシアに始まったインフルエンザで欧州を経由して横浜港に上陸。感染力が強くて瞬く間に拡大、91年にかけて大勢の命を奪った▼庶民はお染の正体が外国から入り込んだ流行病(はやりやまい)と知った途端に青ざめ、迷信を非難して滋養強壮に走った。だが、時既に遅く、お染風邪こそ疫学上の「パンデミック」(感染爆発)に当たる国内初の事例になった▼過去最悪の39万人が死亡した1918~20年の「スペイン風邪」の感染爆発に匹敵する猛威だったという。その張り紙と新型コロナウイルスの集団感染が起きたクルーズ船の張り紙「清潔」「不潔」が重なる▼感染した高齢者の死亡が相次ぎ、検査で陰性の乗客が下船後に陽性と確認されるなど、国の“水際の失敗”に内外から批判が渦巻いている。一部に保身と忖度(そんたく)の擁護論もあるが、ウイルスに耳があるとは思えない▼政府は対中外交での見込み違いを挽回しようと試みたが甘くなかった。狭い列島で得意の感染力を爆発させられたら弱者は逃げ場を失う。「ここ1、2週間が急速な拡大の瀬戸際」というが国民は丸腰。国の姿が見えない。